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原理講論 1995年(平成7年)2月20日 第2版第1刷
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第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理
アモス書三章7節に、「主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れたことを示さないでは、何事をもなされない」と記録されているみ言のように、聖書には、神の救いの摂理に関する数多くの秘密が隠されているのである。しかし、人間は神の摂理に対する原理を知らなかったので、聖書を見ても、その隠れた意味を悟ることができなかった。聖書においては、一人の預言者の生涯に関する記録を取ってみても、その内実は、単純にその人の歴史というだけにとどまるものではなく、その預言者の生涯を通して、堕落人間が歩まなければならない道を表示してくださっているのである。ここでは特に、神が、ヤコブとモーセを立てて復帰摂理路程を歩ませ、それをもって、将来、イエスが来られて、人類救済のために歩まねばならない摂理を、どのようなかたちで表示してくださったかということについて調べてみることにする。
イサクの家庭を中心とする復帰摂理において、「実体基台」を立てる中心人物であったヤコブが、アベルの立場を確立して、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てるために、サタンを屈伏してきた全路程はヤコブによるその象徴路程を、形象的に歩まなければならないモーセ路程と、それを実体的に歩まなければならないイエス路程とを、あらかじめ示した典型路程であった。そして、この路程は、イスラエル民族と全人類が、摂理の目的を成就するために、サタンを屈伏させながら歩まなければならない、表示路程でもあるのである。
(一) イエスの典型路程としてヤコブ路程とモーセ路程とを立てられた理由
復帰摂理の目的は、究極的には人間自身がその責任分担として、サタンを自然屈伏させ、それを主管し得るようになることによって成就されるのである。イエスが、人間祖先として、メシヤの使命を負うて来られたのも、サタン屈伏の最終的路程を開拓し、すべての信徒たちをその路程に従わせることによって、サタンを自然屈伏させるためである。
ところが、神にも屈伏しなかったサタンが、人間祖先として来られるイエスと、その信徒たちに屈伏する理由はさらにないのである。それゆえに、神は人間を創造された原理的な責任を負われ、ヤコブを立てることによって、彼を通して、サタンを屈伏させる象徴路程を、表示路程として見せてくださったのである。
神は、このように、ヤコブを立てられ、サタンを屈伏させる表示路程を見せてくださったので、モーセはこの路程を見本として、その形象路程を歩むことにより、サタンを屈伏させることができたのである。そしてまた、イエスは、ヤコブ路程を歩いたモーセ路程を見本として、その実体路程を歩むことにより、サタンを屈伏させることができたのであり、今日の信徒たちもまた、その路程に従って歩み、サタンを屈伏させることによって、それを主管するようになるのである。モーセが、自分のような預言者一人を、神が立てられるであろうと言ったのは(使徒三・22)、モーセと同じ立場で、モーセ路程を見本として、世界的カナン復帰の摂理路程を歩まなければならないイエスを表示した言葉である。そして、ヨハネ福音書五章19節に、「子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである」と記録されているのは、とりもなおさず、イエスは、神が、既にモーセを立てて見せてくださった表示路程を、そのまま歩まれているということを言われたのである。ゆえにモーセは、次に来られるイエスの模擬者となるのである(使徒三・22)
(二) ヤコブ路程を見本として歩いたモーセ路程とイエス路程
ヤコブ路程は、とりもなおさず、サタンを屈伏してきた路程である。そして、サタンを屈伏させる路程は、サタンが侵入したその経路を、逆にたどっていかなければならない。そこで今ここに、我々は、ヤコブ路程を見本として歩まれた、モーセ路程とイエス路程について調べてみることにしよう。
1. 人間は、元来、取って食べてはならないと言われた神のみ言を、命を懸けて守るべきであった。しかし天使長からの試練に勝つことができないで、堕落してしまったのである。それゆえに、ヤコブがハランから妻子と財物を取り、カナンに戻って、「メシヤのための基台」を復帰し、家庭的カナン復帰完成者となるためには、サタンと命を懸けて闘う試練に勝利しなければならなかったのである。ヤコブが、ヤボク河で天使と命を懸けて闘い、勝利することによって、イスラエルという名を受けたのも(創三二・25〜28)、このような試練を越えるためのものであった。神は天使をサタンの立場に立てられ、ヤコブを試練されたのである。しかし、これはあくまでも、ヤコブを不幸に陥れようとしたものではなく、彼が、天使に対する主管性を復帰する試練を越えるようにして、アベルの立場を確立させ、彼を家庭復帰完成者として立てられるためであった。天使がこのような試練の主体的な役割を果たすことによって、天使世界もまた、復帰されていくのである。モーセも、イスラエルの民族を導いてカナンに入り、民族的カナン復帰完成者となるためには、神が彼を殺そうとする試練に、命を懸けて勝利しなければならなかったのであった(出エ四・24)。もし、人間が、このような試練を神から受けないで、サタンから受けて、その試練に負けたときには、サタンに引かれていくようになるのである。それゆえに、神の方から試練をするということは、どこまでも、神が人間を愛しているからであるということを、我々は知らなければならない。イエスも、人類を地上天国に導くことによって、世界的カナン復帰完成者となるためには、荒野四十日の試練において、命を懸けてサタンと闘い、それに勝利しなければならなかったのである(マタイ四・1〜11)
2. 人間の肉と霊にサタンが侵入して堕落性が生じたのであるから、ヤコブはこれを脱ぐための条件を立てなければならなかった。それゆえに、ヤコブは、肉と霊とを象徴する、パンとレンズ豆のあつものを与えて、エサウから長子の嗣業(家督権)を奪うことによって、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、アベルの立場を復帰しなければならなかったのである(創二五・34)。この路程と対応するために、モーセ路程においても、イスラエル民族に、肉と霊とを象徴する、マナとうずらとを与えてくださり、神に対する感謝の念と、選民意識とを強くさせることによって、彼らをモーセに従わせ、「堕落性を脱ぐための民族的蕩減条件」を立たせようとされたのであった(出エ一六・13、14)。
イエスが、「……あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった……人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」(ヨハネ六・48〜53)と言われたのは、イエスも、この路程を見本として歩まれたということを意味するのである。これは、すべての堕落人間たちが、洗礼ヨハネの立場におられる(本章第三節(二)(1))イエスを信じ仕えることにより、霊肉共に彼と一体となり、「堕落性を脱ぐための世界的蕩減条件」を立て、彼をメシヤとして侍るところまで行かなければ、創造本姓を復帰することができないということを意味するのである。
3. 人間は堕落により、その死体までもサタンの侵入を受けたのであった。ところがヤコブは、祝福を受けて、聖別された体であったから、彼の死体も、サタンと闘って分立したという条件を立てるため、その死体に、四十日間、防腐剤をぬったのである(創五〇・3)。したがって、この路程を見本として歩いたモーセも、その死体をもってサタンと闘ったのであり(ユダ9)、またイエスも、その死体をめぐって問題が起きたのであった(マタイ二八・12、13)。
4. 人間始祖は、堕落により、その成長期間において、サタンの侵入を受けてしまった。それゆえ、これを蕩減復帰するために、次のようなその期間を表示する数を立てるための摂理をなさるのである(後編第三章第二節四)。すなわち、ヤコブがハランからカナンに復帰するときに、サタン分立の三日期間があり(創三一・22)、モーセが民族を導いて、エジプトからカナンに復帰するときにも、やはりこのような三日期間があり(出エ五・3)、また、ヨシュアも、この三日期間を経たのち、初めてヨルダン河を渡ったのである(ヨシュア三・2)。そして、イエスの霊的世界カナン復帰路程においても、サタン分立の墓中三日期間があったのである(ルカ一八・33)。
サタンに奪われたノアからヤコブまでの十二代の縦的な蕩減条件を、ヤコブ一代において横的に蕩減復帰するために、ヤコブに十二子息がいた(創三五・22)。ゆえに、モーセの時にも、十二部族があったのであり(出エ二四・4)、イエス路程においても、十二弟子がいたのである(マタイ一〇・1)。また、七日の創造期間に侵入したサタンを分立する蕩減条件を立てるため、ヤコブのときには、七十人家族が(創四六・27)、モーセのとには、七十人長老が(出エ二四・1)、そして、イエスのときには、七十人門徒が、各々その路程の中心的な役割を果たしたのであった(ルカ一〇・1)。
5. 杖は、不義を打ち、真実なる道へと導き、人の身代わりとして身を支えるものの表示物で、将来来られるメシヤを象徴したのである(本章第二節(二)(2)2.)。したがって、ヤコブが、このような意義を持っている杖をついて、ヨルダン河を渡り、カナンの地に入ったということは(創三二・10)、将来、堕落人間が、メシヤを捧持して不義を打ち、彼の導きを受け、彼を頼ることによって、罪悪世界を越え、創造理想世界に入るということを、見せてくださったのである。それゆえに、モーセも杖を手にして、イスラエル民族を導いて、紅海を渡ったのであり(出エ一四・16)、イエスも彼自身を表示する鉄の杖によって、この苦海の世界を渡り、神の創造理想世界へと全人類を導いていかなければならなかったのである(黙二・27、黙一二・5)。
6. エバの犯罪が罪の根をつくり、その息子カインがアベルを殺すことによって、その実を結ぶようになった。このように、母と子によってサタンが侵入し、罪の実を結んだのであるから、蕩減復帰の原則によって、母と子が、サタンを分立しなければならないのである。したがって、ヤコブが祝福を受けて、サタンを分立し得たのも、その母親の積極的な協助があったればこそである(創二七・43)。モーセもまた、その母親の協助がなかったならば、彼が死地から脱して、神の目的のために仕えることはできなかったはずである(出エ二・2)。そして、イエスのときにも、また、彼を殺そうとしたヘロデ王を避け、彼を連れてエジプトに避難するという、その母親の協助があったのである(マタイ二・13)
7. 復帰摂理の目的を達成する中心人物は、サタンの世界から神の世界へと復帰する路程を歩まなければならない。それゆえに、ヤコブはサタンの世界であるハランからカナンへ復帰する路程を歩いたのであり(創三一〜三三)、モーセは、サタン世界であるエジプトから、祝福の地カナンに復帰する路程を歩いた(出エ三・8)。そしてまたイエスも、この路程を歩まれるために、生まれてすぐエジプトに避難したのち、再び国に戻るという過程を経なければならなかったのである(マタイ二・13)
8. 復帰摂理の最終の目的は、サタンを完全に滅ぼしてしまうところにある。ゆえに、ヤコブは、偶像を樫の木の下に埋めたのであり(創三五・4)、モーセも、金の子牛の偶像をこなごなに砕いて、それを水の上にまき、イスラエル民族に飲ませたのであった(出エ三二・20)。またイエスは、そのみ言の権能をもって、サタンを屈伏させ、この罪悪世界を壊滅させなければならなかったのである(前編第三章第三節(二)(2)参照)。
(一)モーセを中心とする復帰摂理の概観
モーセを中心とする復帰摂理は、アブラハムを中心とする復帰摂理において既に立てられた「メシヤのための基台」の上で達成されなければならないのであるが、「信仰基台」と「実体基台」とを蕩減復帰して、「メシヤのための基台」をつくらなければならないという原則は、彼においても、何ら異なるところはなかったのである。なぜなら、その摂理を担当する中心人物が代わったならば、その人物自身もそれと同じ責任分担を改めて完遂しなければ、復帰摂理のみ旨を継承することができないからであり、またその摂理の範囲が、家庭的な範囲から民族的な範囲へと拡大されたためであった。しかし、モーセを中心とする復帰摂理においては、次に述べるように、その基台をつくるための蕩減条件の内容が、以前のそれと比べて異なるところが多いのである。
(1)信仰基台
@ 信仰基台を復帰する中心人物
アブラハムの象徴献祭の失敗によって生じた、その子孫たちのエジプト苦役四〇〇年期間が終わってのち、イスラエル民族がカナンの福地に復帰する路程において、「信仰基台」を復帰する中心人物は、モーセであった。ここで、我々はモーセがこの「信仰基台」を、どのようにして立てたかということを知る前に、復帰摂理から見たモーセの位置について詳しく調べ、モーセ以前の摂理路程において、「信仰基台」を復帰しようとした他の人物たち、すなわち、アダム、ノア、アブラハムなどと比べて、モーセの異なる点が何であったかということについて、調べてみることにしよう。
その第一はモーセが神の代理となり、神として立てられたということである。それゆえに、出エジプト記四章16節を見れば、神はモーセにイスラエルの預言者アロンの前で、「あなたは彼のために、神に代わるであろう」と言われ、また、同じ、出エジプト記七章1節では、「見よ、わたしはあなたをパロに対して神のごときものとする」と言われているのである。
第二に、モーセは、将来来られるイエスの模擬者であった。既に論じたとおり、神はモーセをアロンとパロの前で、神の代理として立てられたのである。ところが肉身をつけた神は、イエス一人に限られるため、神がモーセを神の代理として立てられたというみ言は、とりもなおさず、モーセを出エジプト路程において、イエスの模擬者として立てられたということを意味するものとしか考えようはないのである。このようにモーセは、イエスの模擬者として、将来イエスが歩まれる路程を、そのとおり、先に歩むことによって、あたかも、洗礼ヨハネが、イエスの道を直くしなければならなかったように(ヨハネ一・23)、彼もイエスが将来歩まれる道を、前もって開拓したのであった。それでは、モーセがこの路程をいかに歩んだかということに関して、調べてみることにしょう。
モーセは、「メシヤのための基台」をつくったヤコブの子孫であって、復帰摂理時代の摂理歴史を担当した中心人物であったばかりでなく、将来イエスが来られたとき歩まなければならない、ヤコブの典型路程を、形象的に歩いたのである。そしてまた、モーセは、ヤコブ家庭がエジプトに入る路程で、ヨセフがつくった基台の上に立っていたのである。ところが、ヨセフもまた、一人のイエスの模擬者であった。ヨセフはヤコブの天の側の妻として立てられたラケルが生んだ子であり、またヤコブのサタン側の妻として立てられたレアが生んだ息子たちの末の弟であった。それゆえに、ヨセフはアベルの立場にいたのであるが、しかし、カインの立場にいたその兄たちが、彼を殺そうとしたのである。ところが、辛うじて死を免て商人に売られたことから、先にエジプトに入るようになったのであった。そして、彼が三十歳になりエジプトの総理大臣になったのち、彼が幼いときに天から夢の中で掲示してくださった教示のとおり(創三七・5〜11)、その兄たちと父母とがエジプトを訪ねてきて彼に屈伏した摂理路程の基台の上で、イスラエルのサタン分立のためのエジプト苦役路程が始まった。ヨセフのこのような路程は、将来イエスが来られて、苦難の道を通じて、三十歳で王の王としてサタン世界に君臨されたのち、全人類はいうまでもなく、その祖先たちまでも屈伏させ、サタンの世界から分立して天の側に復帰するということを見せてくださったのである。このようなヨセフの全生涯は、とりもなおさず、イエスの模擬者としての道を行く歩みであった。
また、モーセの生い立ちと死も、まさしくイエスのその表示路程であったのである。モーセは、生まれたときは、パロ王の手によって殺されるよりほかはない立場にあったのであるが、その母親が彼を隠して育てあげたのち、パロの宮中に入り、敵の懐の中で、怨讐を越えて安全に成長したのであった。これと同じく、イエスも、生まれるや否や、ヘロデ王の手により、殺されるほかはない立場に陥ってしまったので、その母親が彼を連れてエジプトに逃れ、隠れて育てあげたのちに、再びヘロデ王の統治圏内に戻り、敵の懐の中で安全に成長されたのである。そしてまた、モーセが死んだのち、その死体の行方を知る人がいなかったということも(申命三四・6)、イエスの死体もそのようになるということに対する一つの模型であった。
そればかりでなく、モーセの民族的カナン復帰路程は、まさしくそのまま、次に詳しく記録されているように、将来イエスが来られて歩まれる世界的カナン復帰路程の典型であったのである。このように、モーセがイエスの模擬者であったという事実は、申命記一八章18節から19節に、神がモーセのような預言者一人(イエス)を立てると預言され、だれでも彼の言葉に聞き従わない者は罰するであろうと言われたそのみ言を見ても、十分に理解することができる。そしてまた、ヨハネ福音書五章19節を見れば、イエスは、父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができないと言われた。このみ言もまた、神がモーセをして、将来イエスが行われることを、前もって見せてくださったということを意味するのである。
A 信仰基台を復帰するための条件物
モーセは、既に論じたように、モーセ以前の摂理路程において、「信仰基台」を復帰してきた他の中心人物たちとは、別の立場に立っていた。それゆえに、モーセは、アベルとか、ノアとか、あるいはアブラハムのように、象徴献祭をしなくても、神のみ言を中心として、「四十日サタン分立基台」だけを立てれば、「信仰基台」を蕩減復帰することができたのである。その理由を挙げれば、まず第一に、モーセは、アベル、ノア、イサクなどが、三次にわたる象徴献祭を成功させることにより、象徴献祭により摂理を完了した基台の上に立っていたからである。
第二には、人間始祖が堕落して、「信仰基台」を立てるための神のみ言を失ったので、堕落人間は、神のみ言を直接に受けることができなくなった。そのため、み言の代わりの条件として立てられたのが、その供え物なのである。ところがモーセのときに至ると、供え物を条件物として立てて「信仰基台」を復帰した、復帰基台摂理時代は過ぎさり、再び神のみ言に直接に対し得る、復帰摂理時代となったため、「信仰基台」のための「象徴献祭」は、必要ではなくなるのである。
第三に、アダムの家庭を中心とした摂理が、長い歴史の期間をかけて延長されるに従い、サタンが侵入して延長されたその摂理的な期間を、蕩減復帰する条件を立てなければならなかった。ところが、ノアが箱舟をもって「信仰基台」を立てるためには、「四十日サタン分立基台」が必要であった。そして、アブラハムも、四〇〇年期間を蕩減復帰する「四十日サタン分立基台」の上に立ったのち、初めて、「信仰基台」を立てるための「象徴献祭」をささげるようになったのである。また、イスラエル民族が、エジプトにおいて、四〇〇年間苦役するようになったのも、「四十日サタン分立基台」を蕩減復帰することにより、アブラハムの供え物の失敗によってサタンの侵入を受けたその「信仰基台」を蕩減復帰するためであった。このように復帰摂理時代においては、「四十日サタン分立基台」の上で、供え物の代わりに神のみ言を中心として立つことができさえすれば、それをもって「信仰基台」を復帰するようになっていたのである。
(2)実体基台
復帰基台摂理時代においては「家庭的な実体基台」を立てる摂理をなさった。しかし、復帰摂理時代になると、その次元が上がって、「民族的な実体基台」を立てる摂理をなさるようになるのである。ところで、「民族的な信仰基台」を復帰するに当たって、モーセは神の身代わりとなるので(出エ四・16、七・1)、イエスと同じ立場に立つことになる。それゆえモーセは、イスラエル民族に対しては、父母の立場に立っていたのである。また一方、モーセは、イエスに先立ってその道を開拓すべき使命を担った預言者でもあったので、その子女の立場にも立っていたのであった。したがって彼は、「民族的な実体基台」を立てるべき中心人物として、アべルの立場にもまた立たなければならなかったのである。
アベルは、アダムの代わりに、父母の立場で献祭したので、その献祭に成功することにより、彼はアダムが立てなければならなかった「信仰基台」とともに、「実体献祭」のためのアベル自身の立場をも確立することができたのであった。これと同一の原理により、そのときのモーセも、父母でもあり、また子女でもあるという二つの立場に立っていたために、彼もまた、父母の立場で「信仰基台」を蕩減復帰するようになれば、同時に彼は、子女の立場で「実体献祭」をするためのアベルの位置を確立することができたのである。
このようにして、モーセがアベルの位置を確立したのち、イスラエル民族がカインの立場で、モーセを通じて「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てるならば、そこに「実体基台」はつくられるのであった。
(3)メシヤのための基台
モーセが「民族的な信仰基台」を蕩減復帰して、モーセを中心とするイスラエル民族が、「民族的な実体基台」を蕩減復帰すれば、それがすなわち、「メシヤのための民族的基台」となるのである。そして、イスラエル民族が、その基台の上に、将来来られるメシヤによって重生され、原罪を脱いで、神と心情的に一体となることにより創造本性を復帰すれば、「完成実体」となるようになっていたのである。
(二)モーセを中心とする民族的カナン復帰路程
モーセがサタンの世界であるエジプトから、イスラエルの選民を奇跡をもって導きだし、紅海を渡り、荒野を巡って、神が約束された土地であるカナンに向かう路程は、将来、イエスがこの罪悪世界において、第二イスラエルであるキリスト教信徒を奇跡をもって導き、この罪悪世界の苦海を渡り、命の水が乾いた砂漠を巡って、神が約束された創造本然のエデンに復帰するその路程を、先に見せてくださったことにもなるのである。また、モーセを中心とする民族的カナン復帰路程が、イスラエル民族の不信によって、三次にわたって延長されたように、イエスを中心とする世界的カナン復帰路程も、ユダヤ人たちの不信によって、三次にわたって延長されたのであった。煩雑を避けるために、ここでは、モーセ路程とイエス路程とを細密に対照した説明は省くことにする。しかしこれは、本節と次の節とを対照してみることによって明らかにされるのである。
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原理講論 1995年(平成7年)2月20日 第2版第1刷
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(1) 第一次民族的カナン復帰路程
1. 信仰基台
イスラエル民族が、四〇〇年間をエジプトで苦役することにより、アブラハムの象徴献祭の失敗によって招来された、民族的な蕩減期間は終わったのである。ここにおいて、モーセがイスラエル民族を導いて、「信仰基台」を復帰する人物となるためには、民族的な蕩減期間である四〇〇年を、再び個人的に蕩減することにより、「四十日サタン分立の基台」を立てなければならなかった。モーセは、この目的とともに、堕落前のアダムの「信仰基台」のために立てなければならなかった四十数を蕩減復帰するために(後編第三章第二節(四))、サタン世界の中心であるパロの宮中に入り、四十年を送らなければならなかったのである。
ゆえに、モーセは、他人が知らないうちにその乳母として立てられた母親から、選民意識に燃える教育を受けながら、パロ宮中生活を送ったのち、選民の血統に対する志操と忠節とを変えず、パロ宮中で、つかの間の罪悪の享楽にふけるよりは、むしろ、神の民と共に、苦難を受けることを喜びとして、宮中から脱出してしまったのであった(ヘブル一一・24〜27)。このようにモーセは、パロ宮中生活の四十年をもって「四十日サタン分立基台」を立て、信仰基台を復帰したのである。
2. 実体基台
モーセは、「信仰基台」を立てることによって、同時に、既に述べたような「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」をつくるのに必要な、アベルの位置をも確立していたのである。ゆえに、カインの立場にいたイスラエル民族が、彼らの父母の立場であると同時に、子女としてのアベルの立場にもいたモーセに、信仰を通じて従順に屈伏し、彼から神のみ旨を継承することによって、善を繁殖することができたならば、そのときに「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立て、「民族的な実体基台」を蕩減復帰するようになっていたのである。イスラエル民族が、このようにモーセに従ってエジプトを出発し、カナンの福地に入る期間は、すなわち、彼らがこの「実体基台」を立てるための期間となるのである。
神は、モーセがエジプト人を打ち殺すことをもって「出発のための摂理」をされた。モーセは、自分の同胞が、エジプト人によって虐待されるのを目撃し、火のように燃えあがる同胞愛を抑えることができず、そのエジプト人を打ち殺してしまったのである(出エ二・12)。事実これは、神が御自分の民の惨状を御覧になり(出エ三・7)、憤懣やるかたない御心情を表示されたものでもあった。それゆえに、このようなモーセを中心として、イスラエル民族が一つになるかならないかということは、彼らがモーセに従って砂漠を横断するカナンの復帰路程を、成功裏に出発できるか否かを決定する重大な問題であったのである。
神の選ばれたモーセが、このようにエジプト人を打ち殺したということは、第一に、天使長が人間始祖を堕落させ、また、カインがアベルを殺すことによって、サタンが長子の立場で人類歴史をつくってきたため、天の側から長子の立場にいるサタンの側を打って、蕩減復帰する条件を立てなければ、カナン復帰路程を出発することができなかったからであった。そしてつぎには、モーセがパロの宮中に対する未練を断ち、再びそこに戻ることができない立場に立たせるためでもあったのである。第二次民族的カナン復帰路程において、神がエジプトの長子と、その家畜の初子を全部打たれた理由も、正にここにあったのである。
モーセの、このような行動を目的していたイスラエル民族が、神と同じ心情をもって、モーセの愛国心に感動し、彼を心から尊敬し、心から信じたならば、彼らはモーセを中心として、神の導きにより、紅海を渡ったりシナイの荒野を巡るようなことをせずに、すぐペリシテの方へ行く近道を通ってカナンの土地に入り、「実体基台」をつくるはずであった。そして、この路程は、ヤコブのハラン二十一年路程を蕩減する二十一日路程となるはずであったのである。出エジプト記一三章17節には、「パロが民を去らせた時、ペリシテびとの国の道は近かったが、神は彼らをそれに導かれなかった。民が戦いを見れば悔いてエジプトに帰るであろうと、神は思われたからである」と記録されている。このみ言によって、神は、第一次民族的カナン復帰路程においては、ペリシテ地方の近道を通らせるつもりであったが、イスラエル民族がモーセを信じなかったために、この路程は出発することもできなかったのであり、第二次民族的カナン復帰路程のときには、第一次のときと同じく、彼らが再び不信に陥りカナン復帰の途中でエジプトに戻ることを憂慮されて、紅海を渡り、荒野を迂回していくように導かれたということを、我々は知ることができるのである。
3. 第一次民族的カナン復帰路程の失敗
もしカインの立場にいたイスラエル民族が、アベルの立場にいたモーセに従順に屈伏し、カナンの土地に入ることができたならば、彼らは「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てて「実体基台」をつくり得たはずであった。
ところが彼らは、モーセがエジプト人を打ち殺すのを見て、むしろ、彼を誤解し、そのことを口に出して避難したため、パロはこのことを聞いてモーセを亡き者にしようとしたのである(出エ二・15)。そこでモーセは、やむなくパロの目を避けて、イスラエル民族を離れ、ミデヤンの荒野に逃げるようになったので、その「実体基台」をつくることができず、したがって、モーセを中心とするイスラエル民族のカナン復帰路程は、二次から三次まで延長されるようになったのである。
(2)第二次民族的カナン復帰路程
@信仰基台
イスラエル民族の不信により、第一次民族的カナン復帰路程は失敗に終わり、モーセが彼の「信仰基台」のために立てたパロ宮中の四十年期間は、サタンの侵入を受ける結果となってしまった。それゆえに、モーセが第二次民族的カナン復帰路程を出発するためには、サタンの侵入によって失った、パロ宮中の四十年期間を蕩減復帰する期間を再び立て、「信仰基台」を復帰しなければならなかったのである。モーセがパロを避けてミデヤンの荒野に入り、再び、四十年期間を送るようになった目的は、とりもなおさず、ここにあったのである。この四十年期間には、イスラエル民族も、モーセを信じなかった罪によって、一層悲惨な生活をしたのであった。
モーセは、ミデヤン荒野における四十年をもって「四十日サタン分立基台」を新たに立てたため、第二次の民族的カナン復帰のための「信仰基台」を復帰することができたのである。それゆえに、神はモーセの前に現れて「エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと・・・のおる所に至らせようとしている。いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」(出エ三・7〜10)と言われたのであった。
A実体基台
モーセは、ミデヤン荒野の四十年をもって、「四十日サタン分立基台」を再び造成し、「信仰基台」を復帰すると同時に、再び「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てるに当たってのアベルの位置をも確立したのである。したがって、第一次民族的カナン復帰路程の場合と同じく、カインの立場にいたイスラエル民族が、アベルの立場にいたモーセを絶対的に信じ、かつ、彼に従ったならば、神のみ言のとおりに、彼らは乳と蜜の流れるカナンの地に入ることができたわけであるから、ここで、「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立て、「実体基台」を造成できるようになっていたのであった。
第一次民族的カナン復帰路程を出発しようとしたとき、モーセがエジプト人を打ち殺したのと同じ目的でもって、第二次民族的カナン復帰路程を出発するに当たって、神はモーセに、三大奇跡と十災禍を起こす権能を与えられ、エジプト人を打つことによって「出発のための摂理」をされたのである。モーセがサタンの側を打たなければならない理由は、既に明らかにしたように、第一に、サタンが侵入した長子の立場を蕩減復帰し、第二に、イスラエル民族をしてエジプトに対する未練を断つようにさせ、第三に、モーセがどこまでも、神が送られた人であるということをイスラエル民族に知らしめるためであった(出エ四・1〜9)。さらに、モーセがエジプト人を打つことができたもう一つの理由があったのであるが、それはイスラエル民族が、神が言われたように、アブラハムの象徴献祭の失敗によるエジプト苦役四〇〇年の蕩減期間を全部満たしたにもかかわらず、その上になお、三十年間を苦役されることにより(出エ一二・41)、彼らの嘆きが神にまで達し、神の哀れみを呼び起こし得たという事実である(出エ二・24、25)。
それでは、三大奇跡は、復帰摂理路程において、何を予示したのであろうか。第一の奇跡は、神が命令して見せてくださったとおり(出エ四・3〜5)、モーセの命令によって、アロンがその手に持っていた杖をパロの前に投げつけたとき、それが蛇となったというものである。これを見たパロは、自分の魔術師を召し寄せてその杖を投げさせたところ、これもまた、蛇となったのである。ところが、アロンの杖の蛇は彼らの杖の蛇をのみ尽くしてしまった(出エ七・10〜12)。それでは、この奇跡は、いったい何を予示したのであろうか。これは、とりもなおさず、イエスが救い主として来られ、サタンの世界を滅ぼすということを、象徴的に見せてくださったのである。神の代わりに、神として立てられたモーセ(出エ七・1)の前で、奇跡を起こしたその杖は、将来、神の前でこのような奇跡を起こすであろう、権能的な面から見た、イエスを象徴したのであった。それと同時にまた、杖は身代りの支え人、身代わりの保護者として、不義を打ち、真実なる道案内人の使命をするものであるがゆえに、これは将来、イエスが全人類の前で、このような使命を担って来られるということを見せてくださったものであり、その使命の面からイエスを象徴したものであったのである。
そして、イエスを象徴する杖が蛇になったということは、イエスもまた、蛇の役割をしなければならないということを、見せてくださったのである。イエスが「モーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない」(ヨハネ三・14)と、御自分を蛇に例えられた理由は、実にここにあった。またイエスは、その弟子たちに、蛇のように賢くあれ(マタイ一〇・16)と言われた。これは元来、人間始祖が悪い蛇に誘惑されて堕落したのであるから、これを蕩減復帰するために、イエスは善なる知恵の蛇として来られ、悪なる人間たちを誘って善に導かなければならないし、弟子たちも善なる蛇として来られたイエスの知恵を習い、悪人たちを善導しなければならないという意味で、そのように言われたのである。また、モーセの蛇が魔術師の蛇をのみ尽くしたということは、イエスが天の蛇として来られ、サタンの蛇をのみ滅ぼしてしまわれるということを象徴的に見せてくださったのであった。
第二の奇跡は、神の命令によって、モーセが最初に手を懐に入れたときには、その手がらい病にかかっていた。しかし、神の命令によって、再びその手を懐に入れたときには、らい病にかかっていたその手が完全に快復して元の肉のようになっていたのである(出エ四・6、7)。この奇跡は、将来イエスが後のアダムとして来られ、後のエバの神性である聖霊(前編第七章第四節(一))を送られることによって、贖罪の摂理をされるということを、象徴的に見せてくださったのであった。最初に手を懐に入れて、不治のらい病にかかったということは、最初に天使長がエバを懐に抱くことによって、人間が救われ難い立場に堕落してしまったということを意味したのである。そして、その手を再び懐に入れたとき、病気が完全に治ってしまったということは、人類の父性の神であられるイエスが来られて、人類の母性の神であられる聖霊(前編第七章第四節(一))を復帰し、めんどりがそのひなを翼の下に集めるように(マタイ二三・37)、全人類を、再びその懐に抱くことによって重生せしめ、完全復帰するということを表示されたのであった。
第三の奇跡は、川の水を陸地に注いで血となるようにしたことである(出エ四・9)。これは、無機物(水)に等しい命のない存在が、有機物(血)に等しい命のある存在として復帰されるということを、象徴的に見せてくださったのであった。水は堕落して命を失った世間一般の人間を意味するのであるから(黙十七・15)、この奇跡は将来イエスと聖霊とが来られて、命を失った堕落人間を、命のある子女として復帰されるということを、見せてくださったのである。以上のような三つの権能を行われたのは、イスラエル民族の前に、将来イエスと聖霊とが、人類の真の父母として来られ、全人類を子女として復帰し、サタンに奪われた創造本然の四位基台を復帰することができる、象徴的な蕩減条件を立て得るようにされるためであった。
つぎにモーセが、神に自分の言葉を代理に語れる人を要求したとき、神はその兄アロン(出エ四・14)と、アロンの姉である女預言者ミリアム(出エ一五・20)とを彼に与えられた。これは、将来み言の実体となられるイエス(ヨハネ一・14)と聖霊とが来られて、堕落によってみ言を失った人間を、み言の実体として復帰されるということを、形象的に見せてくださったのであった。それゆえに、アロンとミリアムとがカナンの復帰路程を通じて、神の立場にあったモーセに仕え、彼の身代りとなって指導の使命を担ったということは、将来イエスと聖霊とが、世界的カナン復帰路程を通して、神のみ旨に従い、身代りの贖罪使命をされるということを、形象的に見せてくださったのである。
モーセが神の命令を受けパロの前に行く途中で、主が現れてモーセを殺そうとされた。そのときモーセは、彼の妻チッポラがその男の子に割礼を施して許しを請うたおかげで、死を免れることができたのである。(出エ四・24〜26)。このように、モーセは割礼をもってその試練に勝利したため、彼の家族が生き得たのであり、したがって、イスラエル民族がエジプトから出られるようになったのであるが、これもまた、将来イエスが来られたときに、イスラエルの民族が割礼の過程を経なくては、神の救いの摂理が成就されないということを、前もって見せてくださったのである。
それでは、割礼がいかなる意味をもっているかということについて、調べて見ることにしよう。人間始祖は、サタンと血縁関係を結ぶことによって、いわば、陽部を通じて死亡の血を受けたのであった。ゆえに、堕落した人間が、神の子女として復帰されるためには、その蕩減条件として、陽部の皮を切って血を流すことにより、その死亡の血を流してしまったということを示す表示的条件として、割礼を行うようになったのである。それゆえに、この割礼の根本意義は、第一には、死亡の血を流してしまうという表示であり、第二には、男子の主管性を復帰するという表示であり、また第三には、本然の子女の立場を復帰するという約束の表示でもあるのである。ところで、割礼の種類としては、心の割礼(申命一〇・16)と、肉身割礼(創一七・10)、万物割礼(レビ一九・23)などの三種類がある。
つぎに神は、モーセを通じて十災禍の奇跡を行われることにより、イスラエル民族をエジプトから救いだされたのであるが(出エ七・10〜一二・36)、これも将来イエスが来られて、奇跡をもって神の選民を救われるということを、見せてくださったのであった。ヤコブがハランにおいて、二十一年間の苦役をするとき、ラバンは当然ヤコブに与えなければならない報酬を与えないで、十回も彼を欺いた(創三一・7)。それゆえに、ヤコブの路程を歩むモーセの路程においても、パロがイスラエル民族を、限度を越えて苦役させたばかりでなく、十回も彼らを解放すると言いながら、そのつど彼らを欺いたので、その蕩減として十回の災禍を下し、パロを打つことができたのである。それでは、これらの災禍はいったい、何を予示しようとされたものであるかということについて、調べてみることにしよう。
エジプトの側には三日間の暗黒があり、イスラエルの側には三日間の光明があったというのは、これは将来イエスが来られたら、サタンの側は暗闇となり、神の側は光明となって、サタンの側と神の側とが分岐されるということを、表示してくださったのである。つぎに神は、エジプトの長子と家畜の初子をことごとく撃ってしまわれたのであるが、イスラエルの民族は、羊の血をもってこれを免れることができた。これは、サタン側の長子はカインの立場であるためにこれを打ち、アベルの立場である次子をして、長子の立場を復帰するようにさせるためであった。この災禍もまた、将来イエスが来られたならば、最初に長子の立場を復帰することにより、摂理路程を先に出発したサタンの側は滅び、次子の立場である神の側はイエスの血の代贖によって救われるということを、前もって見せてくださったのである。モーセはまた、エジプトから多くの財物を取って出発したのであるが(出エ一二・35、36)、これも、将来にあるはずのイエスの万物復帰を、前もって表示されたのであった。神は災禍の奇跡を行われるごとに、パロの心をかたくなにされたが(出エ一〇・27)、その理由は、第一に、パロとイスラエル民族に神の能力をはっきりと見せ、神はまさしく、イスラエルの神であられるということを悟らしめるためであった。(出エ一〇・1、2)。そして第二には、パロをして、あらん限りの力を尽くして、イスラエル民族を捕らえようと努めさせ、しかも結局は、やむなくそれを断念せざるを得ないことを体験させ、自己の無力を悟らしめ、また、イスラエル民族がエジプトを離れたのちにも、彼らに対する未練をもたしめないようにされるためであった。そして、第三には、イスラエル民族をして、パロに対する敵愾心を抱くようにさせ、エジプトに対する未練を断つようにさせるためであった。
第一次の民族的カナン復帰路程においては、モーセがエジプト人を打ち殺すことをもってその出発のための摂理をされたのであった。しかし、彼らがかえってモーセを信じなかったために、この路程は出発することさえもできず、失敗に終わってしまったのである。ところが、第二次路程におけるイスラエル民族は、その「出発のための摂理」として見せてくださった三大奇跡と十災禍に接し、モーセはまさしく、神が遣わされた真実なるイスラエルの指導者である、ということを信ずるようになったのであった、そして、イスラエル民族は、「民族的な信仰基台」の上でアベルの立場を確立したモーセを信じ、彼に従う立場に立つようになったので、彼らはついに、第二次民族的カナン復帰路程を出発することができたのである。
ところが、イスラエル民族がこのように一時的にモーセに従い、従順に屈伏したとしても、それだけで直ちに「堕落性を脱ぐための蕩減条件」が立てられたということにはならない。なぜかといえば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てる摂理路程にはサタンが侵入し、長い摂理の期間をサタンに奪われていたために、モーセに対してカインの立場に立っていたイスラエル民族は、このような期間を民族的に蕩減復帰するため、この荒野路程の全期間を通じ、従順と屈伏をもってモーセを信じ、彼に従わなければ、「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てることができなかったからである。したがって、イスラエル民族がモーセに従い、荒野路程を経てカナンに入ってしまうまでは、「民族的な実体基台」を立てることができなかったのであった。
このように神は、第二次のカナン復帰路程においては、その第一次のときよりももっと大きな恩賜をもって「出発のための摂理」をされたのである。しかし、これはあくまでも彼らの不信のためであったから、第二次路程においてイスラエル民族が立てるべき蕩減条件は、更に一層加重されたのであった。すなわち、第一次路程においては、彼らがモーセを信じ、彼に従ったならば、ペリシテの近道に導かれ、ヤコブのハラン路程期間数である二十一日間をもって、カナンの福地に入り得たはずであったのである。ところが、第二次路程においては、出エジプト記一三章17節に明示されているように、もし、彼らがペリシテ地方の近道に導かれたならば、戦争を見て恐れを抱き、第一次路程のときと同じく、再び不信に陥ってエジプトに戻るかもしれない、と心配されたので、神は彼らをこの近道に導かれないで、紅海を渡り、荒野を迂回し、二十一カ月かかってカナンに入る路程を選ばれたのであった。
このようにして、モーセを中心とするイスラエル民族は、二十一カ月の荒野路程を出発するようになったのである。それでは、既に前もって述べたとおり、この路程がいかにして、将来来られるイエスを中心とする、世界的カナン復帰路程の表示路程になったか、ということについて調べてみることにしよう。
モーセに屈伏したパロがイスラエル民族に、自分の国の内でなら犠牲を捧げてもよいと承諾したとき、モーセは、「そうすることはできません。わたしたちはエジプトびとの忌むものを犠牲として、わたしたちの神、主にささげるからです。もし、エジプトびとの目の前で、彼らの忌むものを犠牲にささげるならば、彼らはわたしたちを石で打たないでしょうか。わたしたちは三日の道のりほど、荒野にはいって、わたしたちの神、主に犠牲をささげ、主がわたしたちに命じられるようにしなければなりません」(出エ八・26、27)という言葉をもってパロを欺き、自由許諾の三日間を得て、イスラエル民族を導きだしてきたのであった。この三日間は、すなわち、アブラハムがイサク献祭に当たってサタン分立のために要した期間であったから、そののちこれは、摂理路程を出発するたびごとに、サタン分立のために必要な蕩減期間となったのである。したがって、ヤコブがカナン復帰路程を出発しようとしたときにも、ラバンを欺いてハランを離れ、サタンを分立した三日期間があった(創三一・19〜22)。これと同じく、モーセにも、彼がカナン復帰路程を出発するためには、パロを欺いて自由行動をとり、サタンを分立せしめる三日期間がなければならなかったのである。そして、これは後日、イエスの場合にも、サタン分立のための復活三日期間があったのち、初めて、霊的復帰路程の出発をされるようになるということを、表示してくださってもいるのである。このようにして、イスラエルの壮丁(青年に達した男子)六十万人が、ラメセスを出発したのは、正月十五日であった(出エ一二・6〜37、民数三三・3)。
イスラエル民族が、三日期間を神のみ意にかなうように立て、スコテに到達したのちにおいても、神は尽きない恩賜をもって、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって彼らを導かれたのである(出エ一三・21)。モーセの路程で、イスラエル民族を導いた昼(陽)の雲の柱は、将来イスラエル民族を、世界的カナン復帰路程に導かれるイエスを表示したのであり、夜(陰)の火の柱は、女性神として彼らを導くはずである聖霊を象徴したのであった。
モーセは神の命令により、杖をもって紅海の波を分け、それを陸地のようになさしめて渡ったのであるが、彼らのあとを追撃してきたエジプトの馬と戦車と騎兵とは、みな水葬に付されてしまったのである(出エ一四・21〜28)。既に説明したように、パロの前に立っていたモーセは、神を象徴したのであり、(出エ七・1)、モーセが手に持っていた杖は、神の権能を現すイエスを象徴したのであった。それゆえに、この奇跡は将来イエスが来られるとき、サタンはイエスに従って、世界的カナン復帰路程を歩む信仰者たちのあとを追撃することになるが、杖の使命者として来られるイエスが、鉄の杖をもって(黙二・27、詩二・9)、彼らの前に横たわるこの荒海の俗世界を打つとき、この苦海も平坦な道に分けられるはずであるから、聖徒たちの道は開かれ、追撃するサタンは滅ぼされてしまうということを見せてくださったのである。前編の終末論において既に述べたように、鉄の杖は神のみ言を意味する。そして、黙示録一七章15節には、この罪悪世界を水に例えているのである。我々がこの俗世界を苦海と呼ぶのも、このような通念から生じてきたものと見ることができる。
イスラエルの民族は、紅海を渡り、エジプトを出発してから二カ月目の十五日に、シンの荒野に到着した(出エ一六・1)。このときから神は、彼らが人の住む土地にやって来るまでマナとうずらとを与えられたのであるが(出エ一六・35)、これは将来、イエスが世界的カナン復帰路程において、人間の命の要素であるイエスの肉(マナ)と血(うずら)とが、すべての人間に与えられるということを見せてくださったのである。それゆえに、ヨハネ福音書六章48節以下を見ると、イエスは、「・・・あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった・・・人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」と言われたのであった。
イスラエル民族がシンの荒野を出発して、レピデムに宿営したとき、神はモーセに命ぜられて、ホレブ山の磐石(岩)を打たせ、水を出して彼らに飲ませられた(出エ一七・6)。ところで、コリント1一〇章4節に「岩はキリストにほかならない」と言われているのであるから、この行事は将来メシヤが来られ、「永遠の命に至る水」(ヨハネ四・14)によって、すべての人を生かすということを見せてくださったのである。つぎに、モーセがシナイ山で受けた二つの石板も、イエスと聖霊とを象徴するのであるが、磐石は石板の根であるから、これはまた神をも象徴しているのである。モーセが磐石を打って水を出し、イスラエル民族に飲ませて彼らを生かした基台があるので、この基台の上でモーセが石板を受けるようになったのであり、したがって契約の箱と幕屋をつくることができたのであった。
ヨシュアがレピデムでアマレクと戦ったとき、モーセが手を挙げているとイスラエルが勝ち、手を下げると敗れた。それゆえに、アロンとホルは、石を取ってモーセの足もとに置き、彼をその上に座らせて、彼の手が下がらないように左右から支えることにしたので、その前で戦っていたヨシュアは、アマレク王とその民を打って勝利したのであった(出エ一七・10〜13)。これも将来、イエスが来られるときに起こることを、前もって見せてくださったのであり、ヨシュアはイエスを信ずる信仰者を、アマレクはサタンの世界を、そしてアロンとホルはイエスと聖霊を、各々象徴したものである。そして、アロンとホルがモーセの手を支えて立っていたその前で、ヨシュアがアマレクを打って滅ぼしたということは、神を中心とするイエスと聖霊の三位神を信ずる信仰者たちは、その前に現れるあらゆるサタンを滅ぼすことができるということを予示してくださったのであった。
原理講論三色刷第2版第1刷使用しました。
(3)幕屋を中心とする復帰摂理
我々は先に、石板と幕屋と契約の箱とを受けるようになったそのいきさつを、知らなければならない。イスラエル民族は、アマレクと戦って勝利したのち、三カ月目の初めに、シナイの荒野に到着した(出エ一九・1)。ここでモーセは、長老七十人を率いて、シナイ山に登って神を見た(出エ二四・9、10)。神は特別に、モーセをシナイ山の頂に呼ばれ、石の板に記録した十戒を受けるために、四十日四十夜を断食せよと命じられた(出エ二四・18)。モーセは、シナイ山で断食する間に、神から契約の箱と幕屋についての指示を受けた(出エ二五〜三一)。そして四十日間の断食が終わったとき、モーセは十戒を記録した二つの石板を神から受けたのである(出エ三一・18)。
モーセが石板を持ってシナイ山から下り、イスラエルの民の前に出てきたとき、彼らはアロンをして金の子牛をつくらせ、それが、イスラエル民族をエジプトから導きだした神であると言って拝んでいたのであった(出エ三二・4)。これを見たモーセは大いに怒って、手に持っていた二つの石板を山の下に投げつけ、壊してしまったのである(出エ三二・19)。しかし、神は再びモーセに現れて、先のものと同じ石の板をつくってきたなら、そこにまた十戒のみ言を刻んでくださることを約束されたのであった(出エ三四・1)。このみ言を聞いたモーセが、再び四十日四十夜を断食したとき、神は彼の石板に再び十戒を記録してくださった(出エ三四・28)。モーセがこの石板をもって、再びイスラエル民族の前に現れたとき、初めて彼らはモーセを信じ、彼に仕えるようになって、契約の箱をつくり、幕屋を建設したのである(出エ三五〜四〇)。
(イ)石板、幕屋、契約の箱などの意義とその目的
石板は何を意味するものであろうか。モーセがみ言を記録した二つの石板を受けたということは、堕落によって、供え物を通してのみ神と対応できた復帰基台摂理時代が既に過ぎさり、堕落人間がみ言を復帰して、それをもって神と対応することができる復帰摂理時代に入ったということを、意味するのである。そして、既に後編の緒論において明らかにしたように、み言によって創造されたアダムとエバは、完成したならば、み言の「完成実体」となるはずであった。しかし、彼らは堕落することによって、み言を失った存在となってしまったのである。ここにおいて、モーセが「四十日サタン分立期間」をもって、み言を記録した二つの石板を手にしたということは、サタンの世界から、失ったアダムとエバとを、象徴的なみ言の実体として復帰したということを意味するのである。したがって、み言を記録した二つの石板は、復帰したアダムとエバとの象徴体であって、将来、み言の実体として来られるイエスと聖霊とを象徴したのであった。聖書にイエスを白い石で象徴し(黙二・17)、また、岩はすなわちキリストである(コリントI一〇・4)と言われた理由はここにあるのである。このように、二つの石板はイエスと聖霊とを象徴するために、結局これらはまた、天と地とを象徴することにもなるのである。
つぎに、幕屋にはどういう意義があるのであろうか。イエスはエルサレムの神殿を自分の体に例えられた(ヨハネ二・21)。そしてまた、イエスを信じる信徒たちのことをも、神の宮であると:言われたのである(コリントI三・16)。それゆえに、神殿はイエスの形象的な表示体であるといわなければならない。モーセを中心とするイスラエル民族が、第一次カナン復帰に成功したならば、彼らはカナンの地に入ってすぐ神殿を建設し、メシヤを迎えることができる準備をするはずであった。ところが、彼らの不信により、第一次路程は出発することもできなかったのであり、第二次路程では、紅海を渡り荒野において流浪するようになったため、神殿を建設することができず、その代わりに、幕屋を建てたのである。それゆえに、幕屋はイエスの象徴的な表示体なのである。それゆえ、神がモーセに幕屋を建てるように命ずるとき、「彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである」(出エ二五・8)と言われたのである。
幕屋は至聖所と聖所との二つの部分からなっているのであるが、至聖所は、大祭司だけが年に一度入って献祭をする所である。そして、そこには契約の箱が安置されていて、神が親しく臨在される所であるために、これはイエスの霊人休を象徴したのであり、聖所は普通の献祭のときに入る所であって、これはイエスの肉身を象徴したのであった。したがって、至聖所は無形実体世界を、聖所は有形実体世界を象徴することになるのである。イエスが十字架につけられたとき、聖所と至聖所との間に掛けられていた幕が、上から下まで真っ二つに裂かれたということは(マタイ二七・51)、イエスの十字架による霊的救いの摂理の完成によって、霊人体と肉身とが、ー・オて、天と地とが、互いに交通し得る道が開かれたということを意味するのであった。
それでは契約の箱とはいったい何であろうか。契約の箱とは、至聖所に安置する律法の櫃であって、その中にはイエスと聖霊、すなわち天と地とを象徴する二つの石板が入っていた。そしてまた、そこには荒野路程におけるイスラエル民族の命の糧であり、また、イエスの体を象徴するマナが、神の栄光を表象する金の壷に入れられて安置されていたのであり、また、イスラエルに神の能力を見せてくださった、芽を出したアロンの杖が入っていたのである(ヘブル九・4)。このような点から見るとき、契約の箱は、大きくは天宙の、そして、小さくは幕屋の縮小体であると見なすことができる。
そして、契約の箱の上には贖罪所がつくられていたのであるが、神が言われるには、金をもって二つのケルビムをこしらえ、讀罪所の左右に向かいあわせに置けば、二つのケルビムの間から主なる神が親しく現れて、イスラエルの人々に、命じようとするもろもろのみ言を語るであろうと言われたのである(出エ二五・16〜22)。これは将来、二つの石板に表示されているイエスと聖霊とが来られて摂理されることにより、讀罪が成立すれば、その讀罪所に神が現れると同時に、エデンの園において、アダムが生命の木の前に出ていく道をふさいでしまったケルビム(創三・24)が左右に分かれて、だれでも生命の木であられるイエスの前に行って、神のみ言を受けることができるようになるということを表示してくださったのであった。
それでは、神が石板と幕屋と契約の箱とを下し給うた目的は、いったいどこにあるのだろうか。イスラエル民族は、アブラハムの「象徴献祭」の失敗によって招来した四〇〇年蕩減期間を終えてのち、三大奇跡と十災禍をもってエジプトの民を打ち、追撃してくるエジプトの数多くの兵士と戦車とを水葬に付して紅海を渡り、荒野への道を踏みだしたのであった。神のみ旨を中心として見てもそのとおりであるが、このように仇をつくって離れたエジプトであったために、再びそこに戻ることができない立場にいたイスラエル民族にとって、カナン復帰は必然的に成就しなければならない路程であったのである。それゆえに、神は「出発のための摂理」を、そのような奇跡と災禍をもって行われたのであり、また、イスラエル民族をして紅海を渡らせ、再び、戻ることができないような環境へと追いつめられたのであった。
しかし、イスラエル民族はみな不信に流れてしまった。そしてついには、モーセまでが不信の行動をとるかもしれないという立場に陥ってしまったのである。ここにおいて神は、たとえ人間は変わっても変わることのできないある信仰の対象を立てなければならなかったのである。すなわち、いかなるときにおいても、たった一人でもこれを絶対に信奉する人がいるならば、そのような人たちによって、その信仰の対象を、あたかもバトンのように継承しながら、摂理の目的をあくまでも成就していこうとされたのである。
それでは、このような信仰の対象は何をもって立てなければならなかったのであろうか。石板が入っている契約の箱を安置することによって、メシヤを象徴した幕屋が、すなわち、これであったのである。それゆえに、イスラエル民族が幕屋をつくったということは、既にメシヤが象徴的に降臨されたということを意味するのであった。
したがって、モーセを中心とするイスラエル民族が、この幕屋をメシヤのように対し忠誠をもって信奉し、カナンの福地に復帰するならば、「民族的な実体基台」は、そのときに立てられるのであった。そして、もしイスラエルがみな不信に陥るとしても、モーセ一人だけでも残ってその幕屋を守るならば、その民族は再び蕩減条件を立てて、幕屋を信奉するモーセを中心として、その基台の上に復帰することができるのである。その上、もし更にモーセまでが不信に陥ったとしても、その民族の中のある一人がモーセを代理して最後まで幕屋を守るならば、また、彼を中心として、不信に陥った残りの全民族を復帰する摂理を、再びなさることができたのであった。
第一次民族的カナン復帰路程において、もしイスラエル民族が不信に陥らなかったならば、モーセの家庭は幕屋の代理であり、モーセは石板と契約の箱の代理であり、また、モーセの家法は、天法を代理するはずであったから、彼らには、石板とか契約の箱とか幕屋とかが必要ではなく、そのままカナンに入って、神殿を建てるはずであったのである。ゆえに、石板と幕屋と契約の箱は、イスラエル民族が不信に陥ったので、彼らを救うための一つの方便として下さったものなのであった。幕屋はイエスと聖霊の象徴的な表示体であるから、神殿を建てるときまで必要だったのであり、神殿はイエスと聖霊の形象的な表示体であるから、実体の神殿であられるメシヤが降臨されるときまで必要だったのである。
(ロ)募屋のための基台
メシヤを迎えるためには「メシヤのための基台」がつくられなければならないのと同様に、象徴的なメシヤである幕屋を迎えるためにも、「幕屋のための基台」がつくられなければならない。したがって、この基台を立てるためには、幕屋のための「信仰基台」と、幕屋のための「実体基台」とを立てなければならない、ということはいうまでもない。それでは、モーセを中心とするイスラエル民族は、いかにしてこの二つの基台を立てることかできたであろうか。
モーセが、幕屋のための神のみ言を信奉し、断食の祈りをもって「四十日サタン分立期間」をみ意にかなうように立てれば、幕屋のための「信仰基台」がつくられるようになっていたのである。また、イスラエル民族が、幕屋のための「信仰基台」の上で、幕屋理想を立てていくモーセに、信仰をもって従順に屈伏すれば、幕屋のための「堕落性を脱ぐための蕩減条件」が立てられ、したがって、幕屋のための「実体基台」もつくられるようになっていたのであった。ここにおいて、幕屋というのは、その中に入っている石板と契約の箱とを含めていうのである。
(a)第一次 幕屋のための基台
人間は、六日目に創造されたみ言の実体である(ヨハネ一・3)。したがって、このように創造されたあとで堕落した人間を復帰するために、再創造のみ言を下さる摂理をされるためには、サタンの侵入を受けた創造期間の六数を聖別しなければならないのである。そこで、神は六日間、主の栄光の雲をもってシナイ山を覆い聖別されたのち、七日目に、その雲の中に現れてモーセを呼ばれたのであった(出エ二四・16)。モーセは、このときから四十日四十夜の間断食したのである(出エ二四・18)。それは、既に前のところで詳しく論じたように、イスラエル民族が紅海を渡ったのち、再び不信に陥るのを見られた神が、モーセをして「四十日サタン分立期間」を立てるようにせられ、それによって、象徴的なメシヤである幕屋のための「信仰基台」を立たしめるためであった。
イスラエル民族のカナン復帰路程における「堕落性を脱ぐための蕩減条件」は、彼らが一時的にモーセを信じ、彼に従うことによってつくられるのではなく、彼らがカナンに入り神殿を建ててメシヤを迎えるときまで、継続してそのような立場に立ちつづけることによってのみ、それが成立するということは、既に論じたとおりである。これと同じく、幕屋を建てるために、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて、幕屋のための「実体基台」をつくるときにおいても、イスラエル民族は、モーセが「四十日サタン分立期間」を経て幕屋を建てるときまで、彼を信じ、彼に仕え、彼に従わなければならなかったのであった。ところが彼らは、モーセが断食の祈りをあげていた期間に、みな不信に陥ってしまい、アロンに金の子牛をつくらせ、それがイスラエルの民をエジプトから導きだした神であると言って拝んでいたのである(出エ三二・4)。その結果、イスラエル民族は、幕屋のために立てなければならなかった「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てられず、したがって幕屋のための「実体基台」もつくることができなかったのである。
神は、奇跡をもってイスラエル民族を導いてくださった。しかし、人間自身がみ言の基台を失ってしまったのであるから、人間自身の責任分担において、それを立てなければならないこの期間に限っては、神も彼らの行動を干渉し給うことができなかったのである。ところで、偶像をつくって踊り狂っているイスラエルの民を見るや否や、烈火のごとく憤ったモーセは、手に持っていた石板を山の下に投げつけて、壊してしまった(出エ三二・19)。そのためこれは、モーセが「四十日サタン分立期間」をもって立てたところの幕屋のための「信仰基台」に、サタンが侵入するという結果をもたらしてしまったのである。二つの石板は、既に前のところで明らかにしたように、後のアダムと後のエバとして復帰されるイエスと聖霊とを象徴している。モーセが、イエスと聖霊とを象徴する二つの石板を、イスラエルの不信仰によって壊してしまったということは、次にイエスが来られるときにも、もしユダヤ民族が不信仰に陥れば、イエスが十字架で亡くなられ、イエスと聖霊が神から受けた本来の使命を完遂することができないということを象徴的に見せてくださったのであった。
モーセを中心として行われたイスラエル民族のこのような不信仰は、モーセが「四十日サタン分立期間」を立てたのち、その民をしてモーセに従わせ、「幕屋のための基台」をつくろうとされた神の摂理を挫折させてしまったのである。したがって、「幕屋のための基台」をつくろうとされた摂理は、打ち続くイスラエルの不信仰により、二次から更に三次にまで延長されてきたのであった。
(b)第二次 幕屋のための基台
モーセを中心とするイスラエル民族は、二つの石板を中心とする神の摂理に対して不信に陥ってしまった。しかし彼らは、既にレピデムにおいて石板の根である磐石の水を飲んだ基台の上に立っていたために(出エ一七・6)、モーセが石板を壊してしまったあとでも、神は再びモーセの前に現れ、石板二つを以前のものと同じようにつくってくるならば、最初の石板に刻んで下し給うたのと同じみ言を、再び書いてくださるということを約束されたのである(出エ三四・1)。しかし、ここで「四十日サタン分立基台」を再び立てて、幕屋のための「信仰基台」を復帰しなければ、石板を中心とする幕屋を復帰することは不可能であるため、モーセは、再び、四十日四十夜の間断食したのちに、十戒のみ言を記録した第二次の石板と幕屋理想を復帰するようになったのであった(出エ三四・28)。 一度壊してしまった石板を、四十日四十夜の断食の祈りをもって復帰したということは、十字架で亡くなられたイエスも、彼を信ずる信徒たちが「四十日サタン分立基台」をもって、彼を迎えることができる蕩減条件を立て得るならば、その基台の上に再臨なさり、救いの摂理を再び行うことができるということを見せてくださったのである。
モーセが、第二次として石板を中心とする幕屋理想を復帰していた「四十日サタン分立基台」においては、イスラエル民族は、モーセに従順に屈伏しただけでなく、モーセの指示によって、神のみ言のとおりに幕屋を建てたのであるが、そのときは、第二年の正月一日であった(出エ四〇・17)。このようにして、イスラエルの選民たちは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、幕屋のための「実体基台」をつくることによって、「幕屋のための基台」を造成した基台の上に、幕屋を建設するようになったのである。しかし、既に述べたように、彼らが幕屋を建設することだけでは、第二次民族的カナン復帰路程における「実体基台」はつくり得ないのである。彼らはカナンに入って神殿を建て、メシヤを迎えるときまで忠節を変えることなく、この幕屋を自分たちの命よりもなお貴重に思い、それを信奉しなければならなかったのである。
第二年の二月二十日に、イスラエル民族は雲の柱の導きによって、幕屋を中心として、シナイの荒野を出発した(民数一〇・11、12)。ところが、彼らは再び不信仰に陥り、モーセを恨んだので、エホバは怒りを発せられ、火をもって彼らの宿営の端を焼かれたのである(民数一一・1)。イスラエルの民はそれでもなお悔い改めず、泣き叫びながら、マナのほかには、きゅうりもすいかもないとモーセに恨み言を言いつつ、エジプトの地を慕つたのであった(民数一一・4〜6)。したがって、イスラエル民族が立てていかなければならなかった「幕屋のための基台」は、再びサタンの侵入を受ける結果となってしまったので、この基台を復帰しようとした摂理は、またも、第三次の延長を余儀なくされたのであった。
(c)第三次 幕屋のための基台
イスラエル民族が、再び不信に陥ったので、彼らを中心とする第二次の「幕屋のための基台」は、また、サタンの侵入を受けるようになってしまったのである。しかし、モーセの変わらない信仰と忠誠とによって、その幕屋は、依然としてモーセを中心とする幕屋のための「信仰基台」の上に立っていたのであり、また、イスラエル民族は、既にレピデムで幕屋の中心である石板の根、すなわち、磐石の水を飲んだ(出エ一七・6)基台の上に立っていたのであった。それゆえに、このような基台の上でイスラエル民族が再び、「四十日サタン分立基台」を立てて、幕屋を中心とするモーセに従順に屈伏したならば、彼らはいま一度、第三次の「幕屋のための基台」を蕩減復帰できるようになっていたのである。このための条件として下さったのが、四十日の偵察期間であった。
神はイスラエル民族の各部族から族長一人ずつを集めて、十二名をカナンの地に送り(民数一三・2)、四十日間にわたって偵察をさせられた(民数一三・25)。しかし、偵察から戻ってきた十二名のうち、ヨシュアとカレブとを除いては全部が不信仰な報告をしたのである。すなわち、その地に住む民は強く、その町々は堅固であるばかりでなく(民数一三・28)、その地はそこに住む者を滅ぼす地であり、またその所で見た民はみな背が高い人々であり、わたしたちには自分がいなごのように思われた(民数一三・32、33)と言いふらし、イスラエルはその城とその民とを攻撃することができないと報告したのである。この報告を聞いたイスラエル民族は、モーセに向かってつぶやき、泣き叫びながら、新たに一人のかしらを立てて、エジプトに帰ろうと騒ぎだした。
しかし、ヨシュアとカレブとは、カナンの地の民たちは、彼らを守る者が既に取り除かれているので、イスラエルの食いものにすぎない。その反面、我々には、エホバが保護者としてついておられるのだから、恐れることなく彼らを攻撃することによって、神に背かないようにしなければならないと叫んだのである(民数一四・9)。しかし、イスラエルの民はかえって、石をもってヨシュアとカレブとを撃ち殺そうとしたのであった(民数一四・10)。このときにエホバが現れて、「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがもろもろのしるしを彼らのうちに行ったのに、彼らはいつまでわたしを信じないのか」(民数一四・11)と言われながら、「あなたがたの子供は、わたしが導いて、はいるであろう。彼らはあなたがたが、いやしめた地を知るようになるであろう。しかしあなたがたは死体となってこの荒野に倒れるであろう。あなたがたの子たちは、あなたがたの死体が荒野に朽ち果てるまで四十年のあいだ、荒野で羊飼となり、あなたがたの不信の罪を負うであろう。あなたがたは、かの地を探った四十日の日数にしたがい、その一日を一年として、四十年のあいだ、自分の罪を負い、わたしがあなたがたを遠ざかったことを知るであろう」(民数一四・31〜34)と言われたのである。このように、第三次の「幕屋のための基台」も復帰することができなくなったので、第二次の二十一カ月の荒野路程は、第三次の四十年荒野路程に延長されてしまった。
(4)第二次民族的カナン復帰路程の失敗
イスラエル民族の不信により、「幕屋のための基台」が、三次にわたってサタンの侵入を受けるようになったので、第二次民族的カナン復帰路程における「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」は、立てることができなくなってしまった。したがって、第二次に立てようとした「実体基台」を造成することができなくなり、第二次民族的カナン復帰路程は、再び失敗に終わってしまい、第三次民族的カナン復帰路程に延長されたのである。
原理講論三色刷第2版第1刷使用しました。
(3)第三次民族的カナン復帰路程
\信仰基台
イスラエル民族の不信仰により、第二次民族的カナン復帰路程が失敗に終わったので、モーセがこの路程の「信仰基台」を復帰するために立てたミデヤン荒野の四十年期間は、再び、サタンの侵入を受ける結果となってしまった。それゆえに、イスラエル民族が偵察四十日期間を、信仰と従順をもって立てることができなかったので、日を年に換算して、荒野を経てカデシバルネアに戻るまでの四十年期間は、モーセにおいては、第二次路程の「信仰基台」に侵入したサタンを分立して、第三次路程の「信仰基台」を蕩減復帰するための期間となった。したがって、この荒野の四十年間を、ひたすら信仰と忠誠をもって、幕屋を信奉しながら流浪したあと、カデシバルネアに再び戻ってきたモーセは、第三次民族的カナン復帰路程のための「信仰基台」を立てることができたのであり、それによってこの路程の、民族的な「実体献祭」のためのアベルの立場も確立するようになったのである。
]実体基台
イスラエル民族が、偵察四十日路程を、信仰と従順とをもって立てることができず、不信と反逆をもって失敗したために、「幕屋のための基台」は、依然としてサタンの侵入を受けたものとなっていたから、第二次路程のための「実体基台」は造成されなかったのである。しかし、幕屋を忠誠をもって信奉した、モーセの幕屋のための「信仰基台」は、そのまま残っていたので、この基台の上でイスラエル民族が、荒野流浪の四十年期間を、変わらぬ信仰をもって幕屋を信奉しているモーセに、従順に屈伏することにより、偵察四十日に侵入したサタンを分立する基台を立てるならば、そのときに、幕屋のための「実体基台」が造成されると同時に、「幕屋のための基台」もつくられるようになるのである。そしてこの基台の上にイスラエル民族が、信仰と従順とをもって、幕屋を中心としてモーセに仕え、カナンに入るならば、そのときに、第三次民族的カナン復帰路程における「実体基台」がつくられるようになっていたのであった。
したがって、荒野の四十年流浪期間は、モーセにおいては、第三次路程における「信仰基台」を立てるための期間であったのであり、またイスラエル民族においては、「幕屋のための基台」を立てたのち、第二次路程で彼らがモーセに仕えて幕屋を建設した立場に戻ることによって、第三次路程の「出発のための摂理」をつくるための期間であったのである。
イ)モーセを中心とする実体基台
石板と幕屋と契約の箱は、イスラエル民族が荒野で不信に陥ったために受けるようになったということについては、既に論じたはずである。すなわちイスラエル民族が、彼らの第二次民族的カナン復帰路程において、神がその「出発のための摂理」として行われた三大奇跡を、信じない立場に立っていたので、それを蕩減復帰なさるために、神は彼らに四十日の試練期間を経させたのち、石板と幕屋と契約の箱という三大恩賜を下し給うたのであった。そしてまた、ヤコブがハランでカナンに復帰しようとしたとき、ラバンがヤコブを十回も欺いたのを(創三一・7)、傷減復帰するために、十災禍を下されたのであるが、イスラエルがまたもこれを信じない立場に立ってしまったので、それを再び蕩減復帰するため、十戒のみ言を下さったのである。ゆえに、イスラエル民族が石板と幕屋と契約の箱とを信奉することにより、三大恩賜と十戒を守るならば、彼らは第二次路程において、三大奇跡と十災禍をもってエジプトを出発したときのその立場に戻るようになるのであった。したがって、イスラエル民族が、信仰と従順とをもってモーセに従い、荒野四十年の蕩減期間を終えてカデシバルネアに戻ったのち、モーセと共に「幕屋のための基台」の上で石板と幕屋と契約の箱を信奉したならば、彼らは、第二次路程で三大奇跡と十災禍をもってエジプトを打つことにより、「出発のための摂理」の目的を完遂した立場に、再び立つようになっていたのであった。ところで、石板は契約の箱の縮小体であり、契約の箱は幕屋の縮小体であるので、結局、石板は幕屋の縮小体ともなるのである。それゆえに、契約の箱と幕屋は、石板、あるいは、その板である磐石(岩)をもって表示することができるのである。したがって、第三次民族的カナン復帰路程は、磐石を中心とした「出発のための摂理」により、カデシバルネアを出発することによって始まる。そして、イスラエル民族が、信仰と忠誠をもって幕屋を信奉し、モーセに従ってカナンに入れば、そのとき第三次民族的カナン復帰路程における「堕落性を脱ぐための蕩減条件」が立てられ、モーセを中心とする「実体基台」がつくられるようになっていたのであった。
それでは、神は磐石を中心とする「出発のための摂理」をいかに完遂しようとされたのであろうか。荒野の四十年期間をみ意にかなうように立てることができず、再び不信に陥っていくイスラエルの民族を(民数二〇・4、5)救うために、神はモーセをしてイスラエルの会衆の前で、杖をもって岩(磐石)を打ち、水を出させて、それを彼らに飲ませられたのであった(民数二〇・8)。もしモーセが、杖で磐石を一度だけ打ち、水を出して飲ませることにより、イスラエル民族が神の権能に対して認識を新たにし、彼を中心として一つになったならば、彼らはモーセと共に「幕屋のための基台」の上に立ち、磐石を中心とする「出発のための摂理」を成就したはずであったのである。そして、そのときから、モーセを信じて彼に仕え、彼に従ってカナンの地に入ったならば、彼らは「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てることになるから、第三次路程のモーセを中心とする「実体基台」を、そのときつくることができたはずであった。ところがモーセは、水がないといって不平を言い、つぶやいている民を見たとき、憤激のあまり、燃えあがる血気を抑えることができず、杖をもって磐石を二度打ったので、神は「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現さなかったから、この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」(民数二〇・12)と言われたのである。モーセはこのように一度打つべきであった磐石を二度打ったので、盤石を中心とする「出発のための摂理」は、成就することができなくなり、結局は、約束されたカナンの福地を目の前に眺めながら、そこに入ることができなかったのである(民数二〇・24、民数二七・12〜14)。
我々はここで、磐石(岩)を一度だけ打たなければならなかった理由と、また、二度打ったのがなぜ罪となったのであるか、ということについて調べてみることにしよう。黙示録二章17節では、イエスを白い石で象徴しており、また、コリントI一〇章4節を見れば、岩(盤石)はすなわちキリストであると記してあるのを発見できる。ところで、堕落論で明らかにしたように、キリストは生命の木として来られた方であるから(黙二二・14)、磐石は、すなわち生命の木ともなるのである。また、創世記二章9節の生命の木は、エデンの園において、将来、完成するはずのアダムを象徴したのであって、この生命の木もまた、磐石を意味するものでなければならないから、盤石は完成したアダムを象徴することにもなるのである。
ところで、サタンはエデンの園で、将来磐石となるはずであったアダムを打って堕落させた。そこでアダムは、生命の木となることができなかったので(創三・24)、彼はまた、神から流れている命の水を永遠にその子孫たちに飲ませ得る磐石(岩)ともなれなかったのである。それゆえに、モーセが杖をもって打つ以前の、水を出し得なかった盤石は、堕落したアダムを象徴するものであった。サタンは、将来、命の水を出し得る盤石となるべく成長してきたアダムを、一度打って堕落させることにより、彼を「水を出せない磐石」としてのアダムに変えてしまったので、神はこの水を出せないアダムの表示体である磐石を一度打って水を出すようにし、それによって、「水を出し得る盤石」として、このアダムを蕩減復帰することができる条件を立てようとされたのである。ゆえに、モーセが一度打って命の水を出すようになった盤石は、とりもなおさず生命の木として来られて、堕落した人間に命の水を下さるはずのイエスを象徴したのであった。それゆえに、イエスは「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネ四・14)と言われたのである。したがって、モーセが盤石を一度打つということは、堕落した第一アダムを、完成した第二アダム、すなわち、イエスに蕩減復帰することができる条件として許されたのであった。ところが、モーセが天の側から一度打って水を出すようになっている盤石を、もう一度打ったという行動は、将来復帰した石として来られ、万民に命の水を飲ませてくださるはずのイエスを打つことができるという表示的な行動となったのである。このように、イスラエル民族の不信と、それを目撃したモーセが血気をもって石を二度打った行動は、将来イエスが来られるときにも、イスラエル民族が不信に陥るならば、磐石(岩)の実体となられるイエスの前に、サタンが直接、出現し得るという条件を、成立させたことになるので、それが罪となったのである。
モーセが、石板を一度壊したことは復帰することができた。しかし、磐石を二度打つという失敗は復帰することができなかった。それではその理由はいったいどこにあったのであろうか。復帰摂理から見て、石板と盤石とは、外的なものと内的なものとの関係をもっている。十戒が記録されている石板は、モーセの律法の中心であるので、結局、旧約聖書の中心となるのである。旧約時代のイスラエル民族は、この石板理想を信ずることによって、その時代の救いの圏内に入ることができた。このような意味から、石板は将来来られるイエスに対する、外的な表示体であったということを知ることができるのである。
ところが、コリントI一〇章4節に、盤石(岩)はすなわち、キリストであると言われたみ言のとおり、磐石はイエスを象徴すると同時に、石板の根となるので、それは、石板の実体であられるイエスの根、すなわち、神をも象徴するのである。それゆえに、石板を外的なものであるとすれば、磐石は内的なものとなる。また、石板を体に例えるならば、磐石は心に該当するのであり、石板を聖所であるとするならば、磐石は至聖所となるのである。そしてまた、石板を地に例えるならば、磐石は天に該当する。ゆえに、磐石は石板よりももっと大きな価値をもっているイエスに対する内的な表示体なのである。
このように、石板はイエスに対する外的な表示体であったので、それはまた神を象徴するモーセの前で(出エ四・16、同七・一)、イエスの外的な表示体として立てられていたアロンを象徴したのであった。ところが、イスラエル民族がアロンに金の子牛をつくらせたので(出エ三二・4)、アロンの信仰が壊れるや、石板もまた、壊れてしまったのである。ところがアロンがレピデムで、盤石の水を飲んだ基台の上で(出エ一七・6)悔い改めることにより蘇生することができたので、アロンを象徴する石板も、盤石の水の内的な基台の上で、再び、蕩減条件を立てることにより、復帰することができたのである。しかし、石板の根である盤石は、キリストとその根である神を象徴するものであるから、これを打った行動は挽回することができなかったのである。それでは、モーセが磐石を二度打ったことは、いかなる結果をもたらしたのであろうか。モーセが磐石を二度打ったことは、不信に陥っていくイスラエルに対する血気を抑えることができなかった結果であるので(詩一〇六・32、33)、この行動は結局、サタンの立場で行ったこととなるのである。したがって、磐石をもって成就しようとされた「出発のための摂理」は、再び、サタンの侵入を受けた結果となってしまったのである。
このように、モーセが磐石を二度打った外的な行動は、サタンの行動になってしまったが、内的な情状においては、その盤石から水を出して、イスラエルの民に飲ませ、彼らを生かしたのであった。それゆえに、エジプトから出てきた外的なイスラエル民族は、ヨシュアとカレブを除いては、みな、神が予定されたカナンの地に復帰することができず、モーセも一二〇歳を一期として望みの地を目前に眺めながら死んでいったのである(申命三四・4、5)。しかし、ヨシュアがモーセの代わりに(民数二七・18〜20)、盤石の水を飲み、幕屋を信奉する荒野路程の中で出生した内的なイスラエルを導いてカナンの地に入ったのであった(民数三二・11、12)。
モーセが、磐石を二度打った行動が、サタンの侵入を受ける結果をもたらしたとすれば、その磐石からは水が出るということはあり得ないはずであったのである。それでは、どのようなわけで、そこから水が出るようになったのであろうか。第二次民族的カナン復帰路程において、モーセは既にレピデムで神の命令に従い、磐石を打って水を出し、イスラエル民族に飲ませることによって、磐石の水の基台をつくったのであった(出エ一七・6)。そして、この基台の上で立てられた石板と幕屋と契約の箱は、他のすべてのイスラエル民族が不信に陥ったときにも、四十日の断食の祈りをもって立てた、幕屋のための「信仰基台」の上で、それを固く守ってきたモーセ一人の信仰によって、第三次民族的カナン復帰路程にまで継承されてきた。その後、このモーセまでが、不信の立場に陥ってしまったのであるが、神に対する彼の心情は変わらなかったし、また、ヨシュアが、彼の偵察四十日をもって立てた「幕屋のための基台」の上で、不変の信仰をもって、石板と幕屋と契約の箱を信奉していたので、レピデムで立てられた磐石の水の基台も、ヨシュアを中心としてそのまま残っていたのである。
このように、モーセの外的な不信の行動によって、第二次の磐石が外的にはサタンの侵入を受けるようになったのであるが、彼の内的なる不変の心情と、ヨシュアの信仰と忠誠とによって、それが、内的には、水を出して飲み得るという条件となったのであった。
ところで、モーセが磐石を二度打ったことは、結果として、サタンの立場で打ったことになるので、その石は、サタンが所有するようになったのである。したがって、その石の実体として来られたイエスは、その世界的カナン復帰路程で、ユダヤ人たちが不信に陥ってしまったとき、既に、彼らが荒野で失ったこの磐石を、自ら取り戻そうとして荒野に出られたので、サタンから石をパンに変えよという試練を真っ先に受けられたのであった。 モーセがイスラエルの不信により、外的には血気にはやり、磐石を二度打ったので、彼の肉身はサタンの侵入を受け、荒野で死んだのであるが、内的には、彼の不変の心情によって磐石の水を出して飲ませたので、霊的にはカナンに入ることができたのである。これは、将来、磐石の実体であられるイエスが来られるときにも、ユダヤ民族が不信に陥るようになれば、イエスもその肉身がサタンの侵入を受けて、十字架につけられるので、霊肉併せての世界的カナン復帰は完遂することができず、復活されることによって、霊的にのみそれを完遂されるということを見せてくださったのであった。
モーセが、磐石を二度打ったのち、神は不信に陥っていくイスラエルに、火の蛇を送られ、彼らをかんで死ぬようにせられた(民数二一・6)。しかし、イスラエルが悔い改めるようになったとき、神は、モーセに青銅の蛇をつくらせ、それをさおの上に掛けるように計らわれ、その青銅の蛇を仰いで見る人だけは救われるようにされたのであった(民数二一・9)。この火の蛇は、エバを堕落させた昔の蛇、すなわち、サタンを象徴したのであり(黙一二・9)、さおの上に掛けた青銅の蛇は、将来天の蛇として来られるイエスを象徴したのであった(ヨハネ三・14)。これは神がイスラエル民族が不信に陥ったときには、彼らをサタンに手渡されたのであったが、彼らが悔い改めて信仰を取り戻したときには、再び、青銅の蛇をもって生かしてくださったのと同じく、後日、イエスのときにおいても、ユダヤ人たちが不信に陥れば、神は彼らをサタンに手渡さなければならないということと、そのときにイエスは人類を生かすために、やむを得ず、天の蛇として十字架にかけられなければならないということと、さらにまた、不信を悔い改めて彼の十字架による救いを信ずる者は、だれでも救ってくださるということを見せてくださったのであった。それゆえに、イエスは「モーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない」(ヨハネ三・14)と言われたのである。このことは事実上、イエスを中心とする第三次世界的カナン復帰路程を、十字架による霊的路程として出発するようにさせた遠因となったのである。
イスラエルの不信によって、モーセが磐石を二度打ったとき、神は、モーセがカナンの地に入ることはできないだろうと預言された(民数二〇・12)。これに対してモーセは、神にカナンの地に入ることができるようにと哀願の祈りを切実にあげたのであるが(申命三・25)、彼はついに、カナンの地を目の前に見おろしながら息絶えたのであった。このようにして彼が死んだのち、その死体は葬られたが、今日までその墓を知る人は一人もいない(申命三四・6)。これは将来来られるイエスも、もしユダヤ人たちが不信に陥れば十字架にかけられなくてはならないこと、またそのとき、できることなら死の杯を免れて、世界的カナン復帰を成就させてくださるようにとの哀願の祈祷をなさるであろうが、結局はその目的を達成することができず、亡くなられるであろうということ、さらにまた、彼の死体も葬られたのちには、その行方を知る人が一人もいないであろうということなどを、あらかじめ表示してくださったのであった。
ロ)ヨシュアを中心とする実体基台
モーセが磐石を二度打つことによって、イスラエル民族が磐石を中心とする「出発のための摂理」をもってカナンに復帰しようとした目的は完遂されなかった。しかし、モーセが磐石を二度打つことによって(民数二〇・1〜13)、サタンが外的には侵入したが、レピデムにおける磐石の水の基台によって、内的にはそのまま磐石の水を出し、イスラエル民族に飲ませることができたという事実から、先に明らかにしたように、次のような、神の摂理に対応する、いま一つの路程を見せてくださったのである。すなわち、イスラエル民族の中で、サタン世界であるエジプトにおいて出生し、荒野路程で不信に陥った、外的なイスラエルに属する人たちは、偵察四十日を信仰をもって立てたヨシュアとカレブを除いては、全部が荒野で倒れてしまい、磐石の水を飲み、幕屋を信奉する、荒野生活中に出生した内的なイスラエルだけが、モーセの代理であるヨシュアを中心として、カナンに入ったという事実である(民数三二・11、12)。そして、神はモーセに、彼はカナンの地に入ることができないと言われ、「神の霊のやどっているヌンの子ヨシュアを選び、あなたの手をその上におき、彼を祭司エレアザルと全会衆の前に立たせて、彼らの前で職に任じなさい。そして彼にあなたの権威を分け与え、イスラエルの人々の全会衆を彼に従わせなさい」(民数二七・18〜20)と語られた。
ヨシュアは、偵察四十日期間に不信に陥ってしまった全イスラエル民族の中で、モーセが立てた幕屋のための「信仰基台」の上に雄々しく立ち、変わらざる信仰と忠節をもって、「幕屋のための基台」を造成し、最後までそれを信奉した、たった二人のうちの一人であった。このように、たとえモーセは不信に陥っても、石板と幕屋と契約の箱とは、依然としてヨシュアが立てた「幕屋のための基台」の上におかれていたのである。それゆえに神は、ヨシュアをモーセの代理として立てられ、その内的イスラエルの民を彼に服従させ、彼と共に、「幕屋のための基台」の上に立たせることによって、盤石の水を中心とする「出発のための摂理」を成就され、この摂理に基づいて彼らがカナンの地に入ることにより、そこで、「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立て、第三次路程のヨシュアを中心とする「実体基台」をつくらせようとされたのであった。
そして神は、「彼(ヨシュア)はこの民に先立って(カナンに)渡って行き、彼らにおまえ(モーセ)の見る地を継がせるであろう」(申命三・28)と言われたのである。そしてまた、神は、ヨシュアにも、「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない」(ヨシュア一・5、6)と言われた。モーセがミデヤンの荒野生活四十年を神のみ意にかなうように立てたとき、神が彼の前に現れて、イスラエル民族を、乳と蜜の流れるカナンの地へ導くようにと命ぜられたように(出エ三・8〜10)、神は荒野で流浪する四十年を、ひたすら信仰と忠誠とをもって過ごしてきたヨシュアを、モーセの代理として召され、「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい」(ヨシュア一・2)と命令されたのである。
神からこの命令を受けたヨシュアが、民のつかさたちを呼んで、神から受けたこのようなみ旨を伝えたとき(ヨシュア一・10)、彼らはヨシュアに、「あなたがわれわれに命じられたことをみな行います。あなたがつかわされる所へは、どこへでも行きます・・・・だれであっても、あなたの命令にそむき、あなたの命じられる言葉に聞き従わないものがあれば、生かしてはおきません。ただ、強く、また雄々しくあってください」(ヨシュア一・16〜18)と答えながら、彼らは死を誓ってヨシュアに従うことを決意したのであった。このように、モーセの使命を代理してでたヨシュアは、初臨のときの使命を継承して完成するために再臨なさるイエスを象徴したのである。したがって、モーセ路程を蕩減復帰するヨシュアの路程は、イエスの霊的復帰の路程を蕩減復帰しなければならない、彼の再臨路程に対する表示的路程となるのである。
モーセが第二次路程でカナンの地に偵察として送った十二人がいた(民数一三・1、2)。彼らの中でひたすら忠誠をもって、その使命を完遂した二人の心情の基台の上に、ヨシュアは再び二人の偵察(斥候)をエリコ城に送った(ヨシュア二・1)。その際、エリコ城の偵察を終えて戻ってきた二人の偵察者は、「ほんとうに主はこの国をことごとくわれわれの手にお与えになりました。この国の住民はみなわれわれの前に震えおののいています」(ヨシュア二・24)と、信仰をもって報告したのである。このとき、荒野で出生したイスラエルの子孫たちは、みなその偵察者の言葉を信じたので、これをもって、過去に四十日偵察を、み意にかなうように立て得なかった先祖たちの罪を、蕩減することができたのであった。
このように、内的イスラエルが「幕屋のための基台」の上に立ったヨシュアに従うことに対して死をもって誓ったので、彼らはヨシュアと共に、その基台の上に立つことができたのである。こうして、彼らは、磐石の水を中心とする「出発のための摂理」をもって、第二次路程において、三大奇跡と十災禍で、「出発のための摂理」をなした、モーセを中心とする彼らの先祖たちと同じ立場を復帰したのであった。したがって、モーセを中心とするイスラエルが、紅海を渡る前に三日路程を立てたのと同じく、ヨシュアを中心としたイスラエルもまた、ヨルダン河を渡る前に、三日路程を立てたのである(ヨシュア三・2)。また、第二次路程で三日路程を経たイスラエルを、雲の柱と火の柱とが紅海まで導いたのと同じく、ヨシュアを中心とするイスラエルも、彼らが三日路程を経たのちに、雲の柱と火の柱とで表象されたイエスと聖霊の象徴的な実体である契約の箱が、彼らをヨルダン河まで導いたのであった(ヨシュア三・3、同三・8)。
そして、モーセを導いていた杖によって紅海が分けられたように、ヨシュアを導いていた契約の箱がヨルダン河の水際に浸ると同時に、岸一面にあふれていたヨルダンの流れが分かれて(ヨシュア三・16)、ついてきたイスラエルの民は、陸地のように河を渡ったのである(ヨシュア三・17)。杖は、将来来られるイエスに対する一つの表示体であったし、二つの石板とマナ、そして、芽を出したアロンの杖の入っている契約の箱は、イエスと聖霊の象徴的な実体であった。それゆえに、契約の箱の前でヨルダン河の水が分かれて、イスラエルの民がたやすくカナンの地に復帰することができたということは、将来来られるイエスと聖霊の前で、水で表示されているこの罪悪世界(黙一七・15)が、善と悪とに分立されて審判を受けたのち、すべての聖徒が、世界的カナン復帰を完成するようになるということを見せてくださったのである。
このとき神はヨシュアに命じられて、「民のうちから、部族ごとにひとりずつ、合わせて十二人を選び、彼らに命じて言いなさい、『ヨルダンの中で祭司たちが足を踏みとどめたその所から、石十二を取り、それを携えて渡り、今夜あなたがたが宿る場所にすえなさい』」(ヨシュア四・2、3)と言われた。そしてイスラエルの民は、正月十日に、ヨルダン河から上がってきて、エリコの東の境にあるギルガルに宿営して、ヨルダン河から取ってきた十二の石をそこに立てたのでありた(ヨシュア四・20)。それでは、このことはまた、何を予示しているのであろうか。既に論じたように、石は将来来られるイエスを象徴する。したがって、十二の部族(支派)を代表した十二人が、契約の箱によって水が分かれたヨルダン河から、十二の石を取ったということは、将来十二部族の代表(型)として召命されるはずのイエスの十二人の弟子たちが、イエスのみ言によって、この罪悪世界が善と悪とに分かれるとき、そこでイエスを信奉しなければならないということを、見せてくださったのである。
彼らが十二の石を取って、カナンの地の落ち着いた宿営地に、ひとところに集めて置いたとき、ヨシュアは「このようにされたのは、地のすべての民に、主の手に力のあることを知らせ、あなたがたの神、主をつねに恐れさせるためである」(ヨシュア四・24)と言った。これは、将来石として来られるイエスに仕える十二人の弟子たちが、一つの心で一つの目的に向かい、一つの所で一致団結してこそ、世界的カナン復帰を完成して、神の全能性を永遠にたたえることができるということを、予示してくださったのであった。
ヤコブがどこへ行っても石の塚をつくったように、ヤコブの十二子息の子孫である十二部族(支派)の代表者たちも、十二の石を一カ所に集めて、神をたたえる祈祷の祭壇をつくり、将来神殿を建築するということを見せてくださったのであるが、これはとりもなおさず、イエスの十二弟子たちが力を合わせて、イエスを神殿として信奉しなければならないということを表示してくださったのである。後日、イエスの弟子たちが一つにならなかったとき、イエスは、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」(ヨハネ二・19)と言われた。果たして、十二弟子たちは一つになることができず、イスカリオテのユダがイエスを裏切ったので、神殿であられるイエスは、十字架によって壊されてしまい、三日後に復活されて、ばらばらに四散してしまった弟子たちを再び呼び集められてから、初めてその弟子たちは、復活したイエスに仕えて、霊的な神殿として信奉するようになったのであるし、また再臨されたのちには、実体の神殿として侍ることができるようになったのであった。
イスラエル民族がエジプトをたって、カナンの地に向かい、第二次路程を出発するとき、その年の正月十四日の過越の祭を守ってから進軍したと同じく(出エ一二・17、18)、ギルガルに宿営したヨシュアを中心とするイスラエルの民も、その年の正月十四日の過越の祭を守ってのち、固く閉ざされていたエリコの城壁に向かって進軍したのであった。かくて、土から産する穀物を食べはじめたとき、四十年間続けて頂いていたマナも、やんでしまったので、そのときからは人間が汗を流してつくった食糧をもって、生活しなければならなくなったし、また、サタンの都城の最後の関門を通りぬけるときにおいても、人間として果たすべきその責任を、全うしなければならなかったのである。イスラエル民族は、神の命令により、四万の兵士が先頭に立ち、そのあとにつき従って七人の祭司長たちが、七つのラッパを吹きながら行進し、またそのあとには、レビ部族の祭司長たちが担いだ契約の箱(ヨシュア三・3)が従い、最後の線にはイスラエルの全軍が続いて進軍したのであった(ヨシュア六・8、9)。
神が命じられたとおり、イスラエル民族は、このような行軍をもって一日に一度ずつ六日間、城を回ったのであるが、その城には何らの変動も起こらなかった。彼らは忍耐と服従とをもって、サタンの侵入を受けた六日間の創造期間を蕩減復帰しなければならなかったのである。彼らがこのような服従をもって六日間を立てたのち、七日目に七つのラッパを吹く七人の祭司たちが、城を七度回りながら七度目にラッパを吹いたとき、ヨシュアがイスラエルの民に向かって、「呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜わった」と号令すると、民はみなこれに応じて、一斉に大声をあげて呼ばわったので、その城が、たちまちにして崩れてしまったのであった(ヨシュア六)。このような路程は、将来、イエスの権能とその聖徒たちとによって、天と地との間をふさいでいたサタンの障壁が崩れてしまうことを見せてくださったのである。それゆえに、この城壁は、再び築きあげてはならなかったので、ヨシュアは「このエリコの町を再建する人は、主の前にのろわれるであろう。その礎をすえる人は長子を失い、その門を建てる人は未の子を失うであろう」(ヨシュア六・26)と言ったのであった。
このように、破竹の勢いをもって敵を攻撃したヨシュアは、ベテホロンの戦いにおける十九王と、メロムの激戦における十二王を合わせて、三十一王を滅ぼしたのであるが(ヨシュア一二・9〜24)、これも、イエスが王の王として来られ、他国の王たちをみな屈伏させて、その民を救い、地上天国を建設されるということを前もって見せてくださったのである。
^メシヤのための基台
イスラエル民族は偵察四十日のサタン分立期間を立てることができず、第二次民族的カナン復帰路程に失敗し、この期間を再蕩減するために第三次民族的カナン復帰路程を出発して、荒野において四十年を流浪し、再びカデシバルネアに戻った。このときのモーセは、第三次路程のための「信仰基台」をつくったのであり、イスラエル民族は「幕屋のための基台」の上に立つことができたのである。ところが、その後のイスラエルの不信と、それによって磐石を二度打ったことにより、この二つの基台はみなサタンの侵入を受けるようになったのである。そして、モーセを中心としてエジプトを出発した外的イスラエルは、一人残らず荒野で滅ぼされてしまったのであるが、ヨシュアとカレブだけは、モーセが立てた第二次路程の「信仰基台」と、幕屋のための「信仰基台」の上で、偵察四十日のサタン分立期間を信仰と忠誠をもって立てたので、「幕屋のための基台」が造成されたのである。このように、モーセを中心とした外的イスラエルは、全部荒野で倒れてしまったが、幕屋を信奉する荒野生活中に出生した内的イスラエルは、モーセの身代わりであるヨシュアを中心として忠誠を尽くし、契約の箱を信奉してヨルダン河を渡り、エリコの町を打ち破って、カナンに入ったのであった。このようにして、第三次の民族的カナン復帰路程の「実体基台」がつくられ、その結果としてこの路程の「メシヤのための基台」が造成されることによって、アブラハムのときに立てられた「メシヤのための家庭的な基台」は、彼の供え物の失敗による四〇〇年エジプト苦役の蕩減路程を経たのち、初めて「メシヤのための民族的な基台」が造成されるようになったのである。ところが、既に後編第一章第三節(三)を通じて詳しく論じたように、そのとき既に、堕落人間たちが、サタンを中心として、エジプト王国などの強大な王国を建設し、天の側の復帰摂理と対決していたので、ヨシュアを中心として「メシヤのための民族的な基台」が立てられたといっても、その基台の上でサタンと対決することのできる天の側の王国が建設されるときまでは、メシヤは降臨なさることができなかったのである。ところで、カナンに入った内的イスラエルも、また不信に陥り、この摂理は、再び延長を重ねてイエスのときにまで至ったのである。
(三)モーセ路程が見せてくれた教訓
モーセ以後今日に至るまで、悠久なる歴史路程を通じて神のみ旨を信奉してきた数多くの信徒たちが、モーセに関する聖書の記録を読んできた。しかし、それはただ、モーセ自身の歴史に関する記録であるとだけ考えてきたのであり、神が彼を通して、復帰摂理に関するある秘密を教えてくださろうとしたのだということを知る人は一人もいなかったのである。イエスもヨハネ福音書五章19節で、子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができないという程度にしか言われず、モーセ路程の根本意義を明らかにされないまま、亡くなられたのであった(ヨハネ一六・12)。
ところが、我々はここにおいて、モーセがいかにして復帰路程のための、公式的な、あるいは、典型的な路程を歩いたかということを明らかにしたのである。これが将来、イエスの歩まれる道を、そのとおりに予示されたものだということについては、本章の第三節を対照することによって、なお詳しく理解することができるであろう。我々はここにおいて、モーセを中心とした摂理一つだけを見ても、神がおられて、一つの絶対的な目的を指向し、人類歴史を導いてこられたということを、否定することはできなくなるのである。 つぎに、モーセ路程は、人間がその責任分担を遂行することができるか否かによって、その人間を中心とする神の予定が成就されるか、されないかが決定されるということを、見せてくださったのである。神の予定も、その予定のために立てられた人物自身が、その責任分担を完遂できないと、その人物を中心としてはそれが達成されないのである。神は、モーセがイスラエル民族を導いて、乳と蜜の流れるカナンの地に入ることを予定され、彼にこれを命令されたのであった。ところが、彼らが責任を全うすることができなかったので、エジプトを出発したイスラエル民族の中で、ヨシュアとカレブだけがカナンに入り、残りの人々はみな荒野で倒れてしまったのである。
そして、神は人間の責任分担に対しては一切干渉されず、その結果だけを見て主管なさるということを見せてくださった。神はかくも驚異的な奇跡をもって、イスラエルの民を導いてくださったのであるが、モーセが石板を受ける間、彼らが金の子牛の偶像をつくった行動と、モーセが盤石を二度打った行動に対しては、何らの干渉もされなかったのであり、ただ、その結果だけを御覧になって、主管されたのであるが、これはどこまでも、彼ら自身が、独自的に歩まなければならない責任分担であったからである。
また、み旨に対する神の予定の絶対性を見せてくださった。神が目的を予定されて、それを成就なさろうとすることは絶対的であるから、モーセがその責任を全うすることができなかったときには、彼の代理としてヨシュアを立ててまでも、一度予定された目的は、必ず成就されたのである。このように、神が立てられたアベル的な人物が、その使命を全うすることができないときには、カインの立場で忠誠を尽くした人が、彼を代理してアベルの使命を継承し完成するようになるのである。イエスが「天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」(マタイ一一・12)と言われたみ言は、とりもなおさず、このような事実について言われたものなのである。
つぎには、大きな使命を担う人物であればあるほど、彼を試みる試練もまた、それに比例して大きいということを見せてくださった。人間始祖が、神を信じないで遠ざかったがゆえに堕落したのであったから、「信仰基台」を復帰する人物は、神が見捨てられるという試練に勝たなければならなかったのである。それゆえにモーセは、神が彼を殺そうとされた試練に打ち勝ったのちに(出エ四・24)、イスラエルの指導者として立つことができたのである。
そもそもサタンは、堕落を条件として人聞に対応するようになったのであるから、神も、何らの条件なくして人間に恩賜を賜ることはできない。なぜなら、そうしないと、サタンが訴えるからである。ゆえに神が人間に恩賜を賜ろうとするときには、その恩賜と前後して、サタンの訴えを防ぐための試練が必ず行われるのである。モーセ路程でその例を挙げてみると、モーセにはパロ宮中四十年の試練があったのちに、第一次の出エジプトの恩賜が許されたのであり、またミデヤン荒野四十年の試練を経たのちに、神は第二次の出エジプトの恩賜を賜ったのであった(出エ四・2〜9)。また神は、モーセを殺そうとする試練があったのちに(出エ四・24)三大奇跡と十災禍の奇跡を下さったのであり(出エ七・10〜)、三日路程の試練があったのちに(出エ一〇・22)雲の柱と火の柱の恩賜を賜ったのである(出工一三・21)。そしてまた、紅海の試練を経てから(出エ一四・21、22)、マナとうずらの恩賜(出エ一六・13)があったのであり、アマレクとの戦いによる試練(出エ一七・10)があったのちに、石板と幕屋と契約の箱の恩賜(出エ三一・18)があったのである。それから、四十年間荒野で流浪した試練(民数一四・33)があってから盤石の水の恩賜(民数二〇・8)があったのであり、火の蛇の試練を経たのちに(民数二一・6)、青銅の蛇の恩賜(民数二一・9)があったのである。モーセ路程は以上のようにいろいろな教訓を我々に残してくれたのである。
天使を主管すべきであったアダム(コリント1六・3)が、堕落することによって逆にサタンの主管を受け、地獄をつくったのであるから、これを蕩減復帰するために、後のアダムとして来られるイエスは、あくまでも自分自身でサタンを屈伏させて、天国を復帰しなければならないのである。しかし、既に第一節において詳しく述べたように、神の前にも屈伏しなかったサタンが、イエスと信徒たちに従順に屈伏するはずはないのであるから、神は人間を創造された原理的な責任を負われ、ヤコブとモ−セを立てられて、将来イエスがサタンを屈伏することができる表示路程を見せてくださったのであった。
ヤコブはサタンを屈伏させる象徴的路程を歩んだのであり、モ−セはサタンを屈伏させる形象的路程を、そして、イエスはその実体的路程を歩まなければならなかったのである。それゆえに、イエスは、モ−セがサタンを屈伏していった民族的カナン復帰路程を見本として、サタンを屈伏させることによって、世界的カナン復帰路程を完遂しなければならなかったのである。
申命記一八章18節に神はモ−セに対して「わたしは彼らの同胞のうちから、おまえのようなひとりの預言者を彼らのために起して、わたしの言葉をその口に授けよう。彼はわたしが命じることを、ことご
とく彼らに告げるであろう」と言われたみ言の中で、モ−セのような一人の預言者と言われたのは、とりもなおさず、モ−セのような路程を歩まなければならないイエスについて話されたのである。そしてヨハネ福音書五章19節を見れば、イエスは、神のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができないと記録されているのであるが、これは、イエスが、神がモ−セを立てられて見せてくださった表示路程を、そのまま歩まれるということを言われたのであった。詳細なことは、既にモ−セを中心とする復帰摂理において論じたのであるが、モ−セを中心とする三次の民族的カナン復帰路程と、イエスを中心とする三次の世界的カナン復帰路程の全体的な輪郭を比較対照しながら、イエスを中心とする復帰路程を論じてみることにしよう。
(一) 第一次世界的カナン復帰路程
(1)信仰基台
第一次世界的カナン復帰路程において、「信仰基台」を復帰しなければならなかった中心人物は、洗礼ヨハネであった。それでは、洗礼ヨハネはいかなる立場から、その使命を完遂しなければならなかったのであろうか。モ−セを中心とする民族的カナン復帰路程において、モ−セが石板を壊したことと、また磐石(岩)を二度打ったことは、将来イエスが来られるとき、彼を中心とするユダヤ民族が不信に陥るならば、石板と磐石の実体であられるイエスの体を打ち得るという条件を、サタンに許す表示的な行動になったということについては、既にモ−セ路程で論及したところである。
それゆえに、イエスがこの条件を避けるには、彼の降臨のための基台をつくっていく選民たちが、将来来られるメシヤの形象体である神殿を中心として、一つにならなければならなかったのである。ところが、イスラエル民族は、常に不信仰の道を歩むようになり、将来来られようとするイエスの前に、サタンが侵入し得る条件を成立させてきたので、このような条件を防いで新しい摂理をするために、預言者エリヤが来て、バアルの預言者とアシラの預言者とを合わせて、八五〇名を滅ぼすなど(列王上一八・19)、サタン分立の役割をして昇天したのであった(列王下二・11)。しかし、エリヤの全体的な使命は、全部が全部は成就できなかったので、この使命を完遂するために、彼は再臨しなければならなかったのである(マラキ四・5)。このように、エリヤが果たし得なかったサタン分立の使命を担ってこれを完遂し、メシヤの道を直くするために(ヨハネ一・23)、エリヤとして来た預言者が、洗礼ヨハネであった(マタイ一一・14、マタイ一七・13)。
イスラエル民族がエジプトで四〇〇年間、だれ一人導いてくれる預言者もなく、苦役を続けてきたその途上で、彼らを民族的にカナンの地へ引率し、メシヤを迎えさせる人物として、神はモ−セを送られるようになった。これと同じように、ユダヤ人たちも、マラキ預言者以後メシヤ降臨準備時代の四〇〇年の間、だれ一人導いてくれる預言者もなく、ペルシャ、ギリシャ、シリヤ、ロ−マなどの異邦人たちによって苦役を強いられる生活を送る途上において、ついに世界的カナン復帰のために来られるメシヤの前に、彼らを導くことができる人物として、洗礼ヨハネを送られたのであった。
エジプト苦役四〇〇年間の「サタン分立基台」の上に立っていたモ−セが、パロ宮中で忠孝の道を学んだように、メシヤ降臨準備時代の四〇〇年間の「サタン分立基台」の上に立っていた洗礼ヨハネは、荒野でいなごと野蜜とを食べながら、メシヤを迎えるために、天に対する忠孝の道を立てたのであった。それゆえに、祭司たちをはじめとして(ヨハネ一・19)、ユダヤ人たちはみな、洗礼ヨハネがメシヤではないかとまで思うようになったのである(ルカ三・15)。洗礼ヨハネは、このようにして「四十日サタン分立基台」を立てたので、第一次世界的カナン復帰のための「信仰基台」をつくることができたのであった。
(2)実体基台
洗礼ヨハネは、モ−セと同じ立場に立てられていたので、ユダヤ民族に対して、父母と子女という二つの立場に立っていたのであった。ところで、彼は父母の立場から、第一次世界的カナン復帰のための「信仰基台」を蕩減復帰したので、同時に彼は、子女の立場から、「堕落性を脱ぐための世界的な蕩減条件」を立てるに当たっての、アベルの立場をも確立することができたのであった(本章第二節(一)(2))。したがって、洗礼ヨハネは、モ−セがパロ宮中において四十年間の蕩減期間を送ったのち、第一次民族的カナン復帰のための「信仰基台」を立てたその立場を、世界的な規模で打ち立て、その土台の上に立つようになったのである。
モ−セのとき神は、イスラエル民族に、モ−セがエジプト人を打ち殺すのを見せ、彼を信ぜしめることによって「出発のための摂理」をなさろうとした。そのときには、イスラエル民族が、サタン国家であるエジプトを出発し、カナンの地に入らなければならなかったのであるが、洗礼ヨハネを中心とするユダヤ民族の場合には(サタン国家である)ロ−マ帝国を離れて他の地方に移動してはならず、その政権下にいながら彼らを屈伏させその帝国を神の国として復帰しなければならなかった。そこで神は、洗礼ヨハネを中心とする数々の奇跡を見せてくださることにより、ユダヤ人たちが彼を信ずるように仕向けることによって、「出発のための摂理」を成就しようとなさったのである。
それゆえに、洗礼ヨハネの懐胎に関する天使の驚くべき予告と、また、その父親がこれを信じなかったとき、唖になってしまった奇跡、そして、彼が生まれたときに見せてくださった奇跡などによって「近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、聞く者たちは皆それを心に留めて、『この子は、いったい、どんな者になるだろう』と語りあった。主のみ手が彼と共にあった」(ルカ一・65、66)といわれた聖書のみ言のように、イスラエル民族は、洗礼ヨハネが生まれたときから、彼を神がお送りになった預言者であると認めていたのである。そればかりでなく、荒野でいなごと野蜜とをもって命をつなぎながら、祈りの生活をした彼の輝かしい修道の生活により、祭司たちと(ヨハネ一・19)一般のユダヤ人たちが(ルカ三・15)、彼をメシヤだと誤認するぐらいに彼の信望は高かったのである。
モ−セが、パロ宮中四十年の蕩減期間を終えて、エジプト人を殺害したとき、イスラエル民族が彼の愛国心に感動し、彼を信じ彼に従ったならば、彼らは紅海を渡り、荒野を迂回しなくてもよかったし、また石板とか、幕屋とか、契約の箱なども必要なく、ペリシテの近道を通って、まっすぐにカナンの地に入れたはずであった。このように、イエス当時のユダヤ人たちも、神の奇跡をもって信仰の対象者として立ててくださった洗礼ヨハネを信じ、彼に従ったならば、彼らは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を復帰することにより、「メシヤのための基台」を復帰することができたのであった。
(3)第一次世界的カナン復帰路程の失敗
ユダヤ人たちは、洗礼ヨハネが立てた「信仰基台」の上に、彼をメシヤのように信じ、彼に従う立場にいたので(ヨハネ一・19、ルカ三・15)、彼らは旧約時代を清算して、世界的カナン復帰の新しい路程を出発することができたのである。ところが、既に前編の第四章第二節において詳しく論じたように、洗礼ヨハネは自らイエスをメシヤとして証したのにもかかわらず、彼を疑うようになり(マタイ一一・3)、また、自分がエリヤとして来たのにもかかわらず、それを知らずに否認して(ヨハネ一・21)、ユダヤ人たちがイエスの前に出ていく道をふさいだばかりでなく、彼らがイエスに逆らうような立場にまで押しやったのである。これによって洗礼ヨハネは、「実体基台」を立てるに当たってのアベルの位置を離れたために、ユダヤ人たちは、「堕落性を脱ぐための世界的な蕩減条件」を立てることができなかったのである。このようにして、ユダヤ人たちが「実体基台」を立てることができなくなった結果、「メシヤのための基台」を造成することができなくなったために、第一次世界的カナン復帰路程は失敗に終わることになり、これもモ−セのときと同じく、二次から三次まで延長されたのである。
(二) 第二次世界的カナン復帰路程
(1)信仰基台
@ イエスが洗礼ヨハネの使命を代理する
洗礼ヨハネは、完成したアダムとして来られたイエスに対しては、復帰されたアダム型の人物であった。ゆえに洗礼ヨハネは、そのときまでの摂理歴史上において、「信仰基台」と「実体基台」とを復帰するために来たすべての中心人物たちが完遂できなかった使命を、完全に成就して、「メシヤのための基台」をつくらなければならなかったのである。そして、この基台の上で彼を信じ、彼に従うユダヤ民族を導いて、全体的な摂理の基台と共に、イエスに引き渡したのち、信仰と忠誠をもって彼に従い彼に侍るべきであった。
洗礼ヨハネは、自分でも知らずに行ったことではあったが、ヨルダン河でイエスにバプテスマを行ったということは(マタイ三・16)、自分が神のみ旨のために今まで築きあげてきたすべてのものを、イエスの前に引き渡すという一種の儀式だったのである。
ところがその後、洗礼ヨハネは次第にイエスを疑うようになり、イエスに逆らうようになったため、洗礼ヨハネをメシヤのように信じて従ってきた(ルカ三・15)ユダヤ人たちは、自然にイエスを信じないという立場に陥らざるを得なかったのであった(前編第四章第二節)。したがって、洗礼ヨハネが第一次世界的カナン復帰路程のために立てた「信仰基台」はサタンの侵入を受けてしまった。それゆえ、やむを得ず、イエス自身が洗礼ヨハネの使命を代理して、「信仰基台」を蕩減復帰することにより、第二次世界的カナン復帰路程を出発するほかはなかったのである。イエスが荒野で四十日間断食をされながら、サタンを分立されたのは、とりもなおさず、洗礼ヨハネの代理の立場で、「信仰基台」を蕩減復帰されるためであった。
イエスは神のひとり子であり、栄光の主として来られたのであるから、原則的にいえば、苦難の道を歩まれなくてもよいはずなのである(コリント1二・8)。ところが、そのイエスの道を直くするための使命を担って生まれてきた洗礼ヨハネ(ヨハネ一・23、ルカ一・76)が、その使命を完遂できなかったために、洗礼ヨハネが受けるべきであったはずの苦難を、イエス自身が代わって受けなければならなかったのであった。このようにイエスは、メシヤであられるにもかかわらず、洗礼ヨハネの代理に復帰摂理路程を出発されたという事情のために、ペテロに向かい、自分がメシヤであるという事実をユダヤ人たちに証してはならぬと言われたのである(マタイ一六・20)。
A イエスの荒野四十日の断食祈祷と三大試練
我々はまず、イエスの四十日断食祈祷と三大試練に対する、その遠因と近因について知っておく必要がある。民族的カナン復帰路程において、磐石(岩)の前に立っていたモ−セが不信に陥り、それを二度打ったために、イエスを象徴するその磐石(岩)(コリント1一〇・4)は、サタンの侵入を受けてしまったのであった。それは、後日、メシヤとして来られ、モ−セ路程を見本として歩まなければならないイエスの路程においても、イエスの道を直くするために来るはずの洗礼ヨハネが不信に陥るようになれば、磐石であられるイエスの前にサタンが侵入し得るということの、表示的な行動となってしまったのである。したがって、この行動はメシヤより先に来るはずの洗礼ヨハネを中心とする「信仰基台」にも、サタンが侵入し得るということの、表示的な行動ともなったのであった。それゆえに、磐石を二度打ったモ−セの行動は、とりもなおさず、洗礼ヨハネが不信に陥るようになったとき、その「信仰基台」を復帰するために、イエス御自身が洗礼ヨハネの代理の立場で荒野に出ていかれ、四十日断食と三大試練を受けなければならなくなった遠因となったのである。
事実においても、洗礼ヨハネが不信に陥ったために(前編第四章第二節(三))、彼が立てた「信仰基台」にサタンが侵入したのであるが、これが近因となって、イエスは自ら洗礼ヨハネの立場で、「四十日サタン分立基台」を立てることによって「信仰基台」を蕩減復帰するために、荒野における四十日断食と三大試練を受けなければならなかったのである。
それでは、サタンが三大試練をするようになった目的は、どこにあったのだろうか。マタイ福音書四章1節から10節を見ると、サタンはイエスに石を示しながら、それをパンに変えてみよと言ったとあり、また、彼を宮の頂上に立たせてそこから飛びおりてみよと言い、さらに最後には、彼を非常に高い山に連れていき、もしひれ伏して自分を拝むならば、この世のすべてのものをあげようと言うなど、三つの問題をもってイエスを試練したのであった。その目的はどこにあったのであろうか。
初めに神は人間を創造し給い、その個性の完成、子女の繁殖、および被造世界に対する主管など、三つの祝福をされた(創一・28)。それゆえに、人間がこれを完成することが、すなわち、神の創造目的なのである。ところが、サタンが人間を堕落させて、この三つの祝福を成就することができなかったために、神の創造目的は達成されなかったのである。それに対してイエスは神が約束されたこの三つの祝福を復帰することによって、神の創造目的を成就するために来られたのであるから、サタンは祝福復帰への道をふさぐため、その三つの試練をもって、創造目的が達成できないように妨げようとしたのであった。
それでは、イエスはこの三大試練をいかに受け、またいかに勝利されたのであろうか。我々はここにおいて、まずサタンが、いかにしてイエスを試練する主体として立ち得るようになったか、ということについて知らなければならない。モ−セを中心とする民族的カナン復帰路程において、イスラエルの不信とモ−セの失敗により、サタンがイエスと聖霊とを象徴する二つの石板と磐石とを取るようになったため、サタンは、モ−セを中心とするイスラエルに対して主体的な立場に立つようになったという事実を、我々は既に明らかにしたはずである。ところが、世界的カナン復帰路程に至り、サタンを分立してメシヤの行くべき道を直くする使命者として来た洗礼ヨハネ(ヨハネ一・23)が、その責任を完遂できなくなり、モ−セのときと同じく、イスラエル民族が再び不信仰と不従順に陥るようになったために、神が既にモ−セ路程で予示されたように、サタンは、イエスを試練する主体的な立場に立つようになったのであった。それではここで、その試練のいきさつを、更に詳しく追ってみることにしよう。
イエスが荒野で四十日の断食を終えられたとき、サタンがその前に現れて、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」(マタイ四・3)と試練してきた。ここにはいかなる事情があるのだろうか。まずモ−セが荒野で「四十日サタン分立基台」の上におかれていた石板を壊し、磐石を二度打ったという行動、および、洗礼ヨハネの不信の結果、その石をサタンが所有するようになったので、これを再び取り戻すため、イエスは荒野に出ていかれ、四十日間断食してサタンを分立しなければならなかった。サタンは、イエスがこのように石を取り戻すために、荒野に出てこられたということをよく知っていたのである。したがって、その昔、民族的なカナン復帰のための荒野路程において、イスラエルの祖先たちが飢餓に打ち勝つことができず、不信に陥って、石をサタンがもつようになったのと同じく、今、世界的カナン復帰のための荒野路程におかれているイエスも、彼らと同様、飢餓の中にいるのであるから、次第に不信に陥って、その石を取り戻そうとする代わりに、それをパンに変えて飢えをしのぐようになれば、その石はサタンが永遠に所有しつづけることができるという意味だったのである。
この試練に対するイエスの答えは、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイ四・4)というみ言であった。元来、人間は、二種類の栄養素によって生きるように創造された。すなわち、自然界より摂取する栄養素によって肉身を生かし、神の口から出るみ言によって霊人体を生かすようになっているのである。ところが堕落人間は、神のみ言を直接受けられなくなってしまったために、ヨハネ福音書一章14節に記録されているように、神のみ言が肉身となって地上に来られたイエスのみ言によって、その霊人体が生きていくようになっているのである。ゆえに、ヨハネ福音書六章48節を見ると、イエスは「わたしは命のパンである」と言われ、それに続いて、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」(ヨハネ六・53)とも言われたのであった。それゆえに、人間がパンを食べてその肉身が生きているとしても、それだけで完全に生きているとはいえない。その上に、神の口から出るみ言が肉身と化して、あらゆる人間の命の糧となるために来られたキリストによって生きない限りは、完全な人間となることはできないのである。
しかるに、モ−セが石板の根である磐石を二度打ったことによって、その石は、サタンの所有となったのである。このようにサタンのものとなったその石は、まさしく、モ−セが失ったその磐石(岩)であり、また、その石板でもあったために、その石は結局、サタンの試練を受けているイエス自身を象徴するものであった。これは、黙示録二章17節に、石をキリストとして象徴し、またコリント1一〇章4節に「岩はキリストにほかならない」と記録されているのを見ても、明らかに理解することができるのである。それゆえに、サタンの最初の試練に応じたイエスの答えは、要するに、わたしが今いくらひどい飢えの中におかれているとしても、肉身を生かすパンが問題ではなく、イエス自身がサタンから試練を受けている立場を勝利して、すべての人類の霊人体を生かすことができる、神のみ言の糧とならなければならないという意味であった。したがって、この試練は、イエスが洗礼ヨハネの立場でもって試練を受けて勝利することにより、個性を完成したメシヤの立場を取り戻す試練であった。このような原理的立場からみ旨に対しておられたイエスの言行に、サタンは敗北したのであった。そして、イエスがこの最初の試練に勝利して、個性を復帰することができる条件を立てられることによって、神の第一祝福の復帰の基台をつくられたのである。
つぎにサタンは、イエスを宮の頂上に立たせて、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい」(マタイ四・6)と言った。ところでヨハネ福音書二章19節から21節を見ると、イエスは、御自身を神殿と言われたのであり、また、コリント1三章16節には、信徒たちを神の宮と、そしてまた、コリント1一二章27節では、信徒たちをキリストの肢体であると言っているのである。それらを見ると、イエスは本神殿であり、信徒たちはその分神殿であるという事実を、我々は知ることができる。このように、イエスは神殿の主人公として来られたのであるから、サタンもその位置を認めなければならなかったので、イエスを宮の頂上に立たせたのであった。そして、そこから飛びおりるようにと言ったのは、主人公の位置から下りて堕落人間の立場に戻るならば、自分がイエスの代わりに神殿主管者の位置を占領するという意味だったのである。
これに対してイエスは、「主なるあなたの神を試みてはならない」(マタイ四・7)と答えられた。元来、天使は、創造本然の人間の主管を受けるように創造されたために、堕落した天使は、当然イエスの主管を受けなければならないのである。それにもかかわらず、天使が、イエスの代わりに神殿主管者の立場に立とうとすることは、非原理的な行動であるということはいうまでもない。それゆえに、このような非原理的な行動をもって、原理的な摂理をなさる神の体であられるイエスを試練することによって、神を試練する立場に立つなどということはあり得べからざることなのである。そればかりでなく、イエスは、既に、第一次の試練に勝利し、個性を復帰した実体神殿として、神殿の主人公の立場を確立されたのであったから、サタンの試練を受けるべき何らの条件もないので、今はイエス自身を試練しないで退けという意味であった。このようにして、第二の試練に勝利することによって、本神殿であり、新郎であり、また人類の真の親として来られたイエスは、すべての信徒たちを、分神殿と新婦、そして子女の立場に、復帰することができる条件を立てて、神の第二祝福の復帰の基台を造成されたのであった。
つぎにサタンは、イエスを非常に高い山に連れていき、世のすべての国々とその栄華とを見せながら、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」(マタイ四・9)と試練した。元を探れば、アダムは堕落することによって、万物世界に対する主人公としての資格を失い、サタンの主管を受けるようになったからこそ、サタンがアダムの代わりに、万物世界の主管者として立つようになったのである(ロマ八・20)。ところが、完成したアダムの位置で来られたイエスは、コリント1一五章27節に、万物をキリストの足もとに従わせたと記録されているみ言のように、被造世界の主管者であったのである。したがって、サタンもこのような原理を知っていたために、イエスを山の上に連れていき、万物の主人公の立場に立たせてから、初めにアダムがサタンに屈伏したように、第二のアダムであるイエスも、サタンに屈伏せよという試練であった。
これに対してイエスは、「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」(マタイ四・10)と答えられた。天使は、もとより仕える霊(ヘブル一・14)であって、自己を創造された神を崇拝し、神に仕えるようになっていたのである。したがって、堕落した天使であるサタンも、彼を拝し彼に仕えるのが原理であるために、サタンは当然、創造主、神の体として現れたイエスにも屈伏して、彼を拝し彼に仕えるのが原理であるとイエスは答えられたのであった。しかもイエスは、既に二度の試練に勝利し、神の第一、第二の祝福を復帰し得る基台を造成しておられたので、その基台の上に神の第三祝福を復帰して、万物世界を主管するのが当然であったから、既に勝利の基台の上に立っている万物世界に対しては、それ以上試練を受けるべき余地がないという意味をもって原理的に答えられたのである。このように、イエスは第三の試練にも勝利され、被造世界に対する主管性を復帰し得る条件を立てることによって、神の第三祝福に対する復帰の基台を造成されたのであった。
B 四十日断食と三大試練とをもってサタンを分立した結果
創造原理によれば、人間は正分合の三段階の過程を経て、四位基台をつくって初めて、神の創造目的を成就するようになっているのである。ところが、人間はその四位基台をつくっていく過程において、サタンの侵入を受け、創造目的を成就することができなかったために、神は、今までの復帰摂理路程を、これまた、三段階まで延長しながら、「四十日サタン分立基台」をつくることによって、失ったすべてのものを蕩減復帰しようとされたのである。ところで、イエスはメシヤであられると同時に、洗礼ヨハネの立場で三段階の試練に勝利され、「四十日サタン分立基台」を立てられたので、これによってイエスは、神の復帰摂理の歴史路程を通して、三段階に摂理を延長しながら、「四十日サタン分立基台」によって奪い返そうとした、次のようなすべての条件を、一時に蕩減復帰することができたのであった。すなわち、第一に、イエスは洗礼ヨハネの立場で、第二次世界的カナン復帰のための「信仰基台」を蕩減復帰されたので、そのときまでの摂理路程において、「信仰基台」をつくるために立てようとされた、すべてのものを蕩減復帰することができたのである。すなわち、カインとアベルの献祭、ノアの箱舟、アブラハムの献祭、モ−セの幕屋、ソロモンの神殿などを蕩減復帰されたのであった。それだけでなく、イエスは、アダム以後四〇〇〇年間の縦的な歴史路程を通じて「信仰基台」を復帰するに当たって、その中心人物たちの失敗によって失うに至ったすべての「四十日サタン分立基台」を、横的に一時に蕩減復帰することができたのである。すなわち、ノアの審判四十日、モ−セの三次の四十年期間と二次の四十日断食、偵察四十日、イスラエルの荒野路程四十年、そして、ノアからアブラハムまでの四〇〇年、エジプト苦役四〇〇年などをすべて蕩減復帰されたのであった。
第二にイエスは、洗礼ヨハネの立場からメシヤの立場に立つための「信仰基台」を造成したので、神の三大祝福を成就して、四位基台を蕩減復帰することができる条件を立てられたのである。したがって、イエスは献祭に成功した実体であられると同時に、また、石板、幕屋、契約の箱、磐石、神殿の実体としても、立つことができるようになったのであった。
(2)実体基台
イエスは、人類の真の親として来られ、洗礼ヨハネの立場で「四十日サタン分立基台」を蕩減復帰されたので、父母の立場に立って「信仰基台」を復帰すると同時に、子女の立場でもって「堕落性を脱ぐための世界的蕩減条件」を立てるに当たってのアベルの位置をも確立されたのであった。したがって、イエスはモ−セがミデヤンの荒野で四十年間の蕩減期間を送ることによって、第二次民族的カナン復帰のための「信仰基台」を造成した立場を、世界的に蕩減復帰した立場に立つようになったのである。
モ−セを中心とする第二次民族的カナン復帰路程においては、三大奇跡と十災禍とによってその「出発のための摂理」をされた。ところがその後、第三次民族的カナン復帰路程においては、イスラエル民族の不信によってその摂理は無為に帰してしまったので、エジプトにおける三大奇跡と十災禍とを蕩減復帰するために、「幕屋のための基台」の上で、石板と幕屋と契約の箱の三大恩賜と十戒を立てることにより、「出発のための摂理」をされたということは、既に、モ−セ路程で明らかにしたはずである。しかるにイエスは、石板と幕屋と契約の箱との三大恩賜と十戒の実体であられるから、第二次世界的カナン復帰路程においては、イエス自身がみ言と奇跡とをもってその「出発のための摂理」をされたのであった。したがって、カインの立場におかれていたユダヤ民族が、この「出発のための摂理」によって洗礼ヨハネの使命を担い、アベルの立場に立っていたイエスを信じ、彼に仕え、彼に従ったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて「実体基台」を復帰するようになるので「メシヤのための基台」を造成することができるようになっていたのである。もしこのようになったならば、イエスは、この基台の上で、洗礼ヨハネの立場からメシヤとしての立場に上がるようになり、すべての人類は、彼に接がれて(ロマ一一・17)、重生し、原罪を脱いで神と心情的に一体となることによって、創造本性を復帰し、地上天国をつくることができたはずであったのである。
(3)第二次世界的カナン復帰路程の失敗
洗礼ヨハネの不信によって、第一次世界的カナン復帰摂理が失敗に終わったとき、イエスは、洗礼ヨハネの使命を代理して、自ら荒野四十日の苦難を受けられて、第二次世界的カナン復帰のための「信仰基台」を蕩減復帰されたのである。ところで、既に述べたように、三大試練においてイエスに敗北したサタンは、一時イエスを離れたのであった(ルカ四・13)。サタンが一時イエスを離れたというのは、永遠に離れてしまったということを意味するのではなく、逆に、再びイエスの前に現れることができるということを暗示しているのである。果たして、サタンは、不信に陥った祭司たちと律法学者たちを中心とするユダヤ民族、特に、イエスを売った弟子、イスカリオテのユダを通して、再びイエスの前に現れて、対立したのであった。
このようにユダヤ民族の不信によって、第二次世界的カナン復帰路程のための「実体基台」はつくり得なくなり、それに伴ってこの摂理のための「メシヤのための基台」もまた造成することができなくなったために、第二次世界的カナン復帰路程は、これまた失敗に終わってしまったのである。
(三) 第三次世界的カナン復帰路程
(1)イエスを中心とする霊的カナン復帰路程
第三次世界的カナン復帰路程に関する問題を論ずるに当たって、まず知っておかなければならないことは、これが第三次民族的カナン復帰路程とどのように異なっているかということである。既に、前もって詳しく論及したように、第三次民族的カナン復帰路程におけるイスラエル民族の信仰の対象は、メシヤの象徴体である幕屋であった。それゆえに、イスラエル民族がみな不信に陥ったときにも、この幕屋だけは、モ−セが断食四十日期間をもって立てた「幕屋のための信仰基台」の上に立っていたのであり、モ−セまでが不信に陥ってしまったときも、それは、モ−セが立てた「信仰基台」をもとに、ヨシュアがモ−セの使命を代理して偵察四十日のサタン分立期間を通じて造成した「幕屋のための基台」の上に立って、終始一貫してみ旨を信奉してきたヨシュアを中心として、そのまま立ちつづけてきたのである。ところが、世界的カナン復帰路程におけるユダヤ民族の信仰の対象は、幕屋の実体として来られたイエスであったので、その弟子たちまでが不信に陥ってしまうと、もうその信仰を挽回する余地はなく、イエスが、「モ−セが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない」(ヨハネ三・14)と言われたみ言のとおり、その肉身は十字架につけられ、死の道を歩まなければならなくなったのである。このように、ユダヤ民族は、霊肉を併せた信仰の対象を失った結果、第三次世界的カナン復帰路程は、第三次民族的カナン復帰路程と同じく、直接、実体の路程としては出発することができず、したがって、第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが復活されたイエスを、再び信仰の対象として立てることをもって、まず、霊的路程として出発するようになったのである。イエスが「この神殿(イエス)をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」(ヨハネ二・19)と言われた理由は、ここにあったのである。そうして二〇〇〇年間信仰を続けているうちに、あたかもヨシュアがモ−セの使命を継承して、第三次民族的カナン復帰を完成したように、イエスは、再臨されることによって、初臨のときの使命を継承され、第三次世界的カナン復帰路程を、霊肉併せて完成されるようになるのである。我々は、このような復帰摂理路程を見ても、イエスが、初臨のときと同じく、肉体をもって再臨されなければ、初臨のときに成就なさろうとされた復帰摂理の目的を受け継いで、完遂することができないということが分かってくるのである。
@ 霊的な信仰基台
ユダヤ民族がイエスに逆らうことにより、第二次世界的カナン復帰路程は失敗に終わったので、イエスが洗礼ヨハネの立場で四十日の断食をもって立てられた「信仰基台」は、サタンに引き渡さなければならなくなってしまったのである。それゆえに、イエスが十字架によってその肉身をサタンに引き渡したのち、霊的洗礼ヨハネの使命者としての立場から、四十日復活期間をもってサタン分立の霊的基台を立てることにより、第三次世界的カナン復帰の霊的路程のための、霊的な「信仰基台」を復帰されたのである。イエスが十字架で亡くなられたのち、四十日の復活期間を立てられるようになった理由はここにあったということを知る人は、今日に至るまで一人もいなかったのである。それではイエスは、霊的な「信仰基台」を、どのようにして立てられたのであろうか。
イエスがメシヤとして現れるときまで、神はユダヤの選民たちと共におられた。しかし彼らが、メシヤとして現れたイエスに逆らいはじめた瞬間から、神は彼ら選民たちを、サタンに引き渡さざるを得なくなったのである。それゆえ、神はイスラエルの民から排斥されたひとり子イエスと共に、選民を捨て、それから顔を背けざるを得なかったのである。しかし、神がメシヤを送られたその目的は、選民をはじめとして全人類を救おうというところにあったので、神は、イエスをサタンに引き渡してでも、全人類を救おうとされたのである。また、サタンは、自分の側に立つようになった選民をはじめとする全人類を、たとえ、みな神に引き渡すようになったとしても、メシヤであるイエスだけは殺そうとしたのである。その理由は、神の四〇〇〇年復帰摂理の第一目的が、メシヤ一人を立てようとするところにあったので、サタンはそのメシヤを殺すことによって、神の全摂理の目的を破綻に導くことができると考えたからである。こうなると、神は、イエスに反対してサタンの側に行ってしまった、ユダヤ民族をはじめとする全人類を救うためには、その蕩減条件としてイエスをサタンに引き渡さざるを得なかったのである。
サタンは、自己の最大の実権を行使して、イエスを十字架で殺害することによって、彼が四〇〇〇年の歴史路程を通じて、その目的としてきたところのものを、達成したことになったのである。このように、イエスをサタンに引き渡された神は、その代償として、イスラエルをはじめとする全人類を救うことができる条件を立て得るようになられた。それでは神は、どのようなやり方で罪悪人間たちを救うことができたのであろうか。サタンが、既にその最大の実権を行使してイエスを殺害したので、蕩減復帰の原則により、神にも最大の実権を行使し得る条件が成立したのである。ところで、サタンの最大の実権行使は、人間を殺すことにあるのであるが、これに対して神の最大実権行使は、あくまでも死んだ人間を、再び生かすところにある。そこで、サタンがその最大の実権行使をもって、イエスを殺害したことに対する蕩減条件として、神もまた、その最大の実権を行使されて、死んだイエスを復活させ、すべての人類を復活したイエスに接がせ(ロマ一一・24)、彼らを重生させることによって救いを受けられるようにされたのである。
しかし、我々が聖書を通してよく知っているように、復活されたイエスは、十字架にかけられる以前、その弟子たちと共に生活しておられたイエスと全く同じイエスではなかったのである。彼は、既に、時間と空間とを超越したところにおられたので、肉眼をもっては見ることのできない方であった。彼は、弟子たちが戸を締めきっていた部屋の中に、突然現れたかと思うと(ヨハネ二〇・19)、エマオという村へ行く二人の弟子の前に突然現れて、長い間同行された。しかし彼らは、近づいてこられたイエスと一緒に歩きながらも、彼がだれであるかを知らなかったのであり(ルカ二四・15、16)、このように現れたイエスはまた、忽然としてどこかに去ってしまわれたのである。イエスは、すべての人類を救われるために、その肉身を供え物として十字架に引き渡されたのち、このように復活四十日のサタン分立期間をもって、霊的な「信仰基台」を立てられることにより、万民の罪を贖罪し得る道を開拓されたのである。
A 霊的な実体基台
イエスは、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的な復活「四十日サタン分立基台」を造成なさることにより、霊的な真の父母の立場でもって霊的な「信仰基台」を復帰すると同時に、また、霊的な子女の立場でもって「堕落性を脱ぐための世界的な蕩減条件」を立てるための、霊的なアベルの位置をも確立されたのである。そのようにして、イエスは、モ−セがイスラエル民族を導いて荒野流浪の四十年蕩減期間を送ることにより、第三次民族的カナン復帰のための「信仰基台」を造成したように、第三次世界的カナン復帰のための、霊的な「信仰基台」を造成することができたのである。
モ−セのときには、「幕屋のための基台」を立てることによって「出発のための摂理」をされた。しかし、復活されたイエスは、ガリラヤに四散していた弟子たちを呼び集められて、自身が石板と幕屋と契約の箱との霊的な実体となられ、弟子たちに一切の奇跡の権威を授けられることによって(マタイ二八・16〜18)、「出発のための摂理」をされたのである。
ここにおいて、カインの立場に立っていた信徒たちは、この「出発のための摂理」により、霊的な洗礼ヨハネ使命者として、霊的なアベルの立場におられる、復活されたイエスを信じ、彼に仕え、彼に従って、「堕落性を脱ぐための霊的な蕩減条件」を立てることにより、「霊的な実体基台」を復帰することができたのである。
B メシヤのための霊的な基台
イエスが十字架で亡くなられたのち、取り残された十一人の弟子たちはみな力を失って、四方に散らばってしまっていた。ところが、イエスは復活されるとまた、彼らを再びひとところに集められ、霊的カナン復帰の新しい摂理を始められたのである。弟子たちは、イスカリオテのユダの代わりにマッテヤを選んで(使徒一・26)、十二弟子の数を整え、復活されたイエスを命を懸けて信奉することにより、「霊的な実体基台」を造成し、それによって「メシヤのための霊的な基台」を復帰した。そこでイエスは、この基台の上で、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的なメシヤの立場を確立し、聖霊を復帰することによって、霊的な真の父母となり、重生の摂理をされるようになったのである。すなわち、使徒行伝二章1節から4節にかけて記録されているように、五旬節に聖霊が降臨されてのち、復活されたイエスは霊的な真の父として、霊的な真の母であられる聖霊と一つになって摂理されることにより、信徒たちを霊的に接がしめて、霊的に重生せしめる摂理をされて、霊的救いの摂理だけを成就するようになられたのである(前編第四章第一節(四))。したがって、イエスが復活した圏内では、サタンの霊的讒訴条件が清算されているので、それは霊的面におけるサタンの不可侵圏となっているのである。
堕落人間は、キリストを信ずることによって、彼と一体となるとしても、キリスト自身がそうであったと同様に、その肉身はサタンの侵入した立場におかれているので、肉的救いは依然として全うされずに、そのまま残るようになったのである。しかしながら、我々が復活したイエスを信ずれば、彼と共に霊的にはサタンの不可侵圏内に入るようになるから、サタンの霊的讒訴条件を免れ、霊的救いのみが成就されるようになるのである。
C 霊的カナン復帰
キリスト教信徒たちは「メシヤのための霊的基台」の上で霊的メシヤとして立たせられたイエスを信じ侍ることによって、霊的カナン復帰だけを完成するようになった。それゆえに、霊的カナン復帰の恵沢圏内にいる信徒たちの肉身は、ちょうど十字架によってサタンの侵入を受けたイエスの肉身と同じ立場に立つようになるので、(肉身の面から見れば)イエスが来られる前の状態と異なるところがなく、サタンの侵入を受けることにより、原罪は依然として元のままに残っているので(ロマ七・25)、信徒たちもまた、キリスト再臨のための、サタン再分立の路程を歩まなければならなくなったのである(前編第四章第一節(四))。
モ−セを中心として摂理された、民族的カナン復帰路程における幕屋理想は、今や復活されたイエスの霊的実体神殿を中心として、世界的に形成されるようになった。その至聖所と聖所とは、それらが象徴しているところのイエスと聖霊、あるいは、イエスの霊人体と肉身が霊的実体というかたちでその理想を成就したのであり、贖罪所の理想は、イエスと聖霊との働き(役事)によって成就され、そこに神が現れて語られるようになったのである。それゆえに、神のみ言が語られるその贖罪所においては人間始祖が堕落したのち、その前をふさいでいたケルビムを左右に分かち、契約の箱の中に入っている生命の木であられるイエスを迎えて、神が下さるマナを食べ、芽を出したアロンの杖でもってそのしるしを見せてくださった神の権威を現すようになるのである(ヘブル九・4、5)。このようにイエスの十字架とその再臨は、モ−セの路程を通じてみても、決して、それが既に決まった摂理ではなかったということが分かるのである。
(2)再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程
第三次世界的カナン復帰路程が、第三次民族的カナン復帰路程と同じく、実体路程をもって出発することができず、霊的路程として出発するようになった理由については、既に前節で述べたとおりである。「メシヤのための霊的な基台」の上で、霊的メシヤとしておられるイエスを信じ、彼に従うことをもって出発した第三次世界的カナン復帰の霊的摂理は、二〇〇〇年の悠久なる歴史路程を経て、今日、世界的にその霊的版図を広めるようになった。
それゆえ、あたかもモ−セの霊的カナン復帰路程を、ヨシュアが代わって実体路程として歩み、民族的カナン復帰を完遂したのと同じく、イエスは、今までの霊的カナン復帰路程を、再臨されてから実体路程として歩まれ、世界的カナン復帰を完遂されることによって、地上天国をつくらなければならないのである。このように再臨主は、初臨のときに実体をもって成就されようとした地上天国を、そのごとくにつくらなければならないので、あくまでも実体の人間として、地上に生まれなければならないのである(後編第六章第二節(二)参照)。
しかし、再臨主は、初臨のときの復帰摂理路程を蕩減復帰しなければならないので、あたかも彼の初臨のとき、ユダヤ民族の不信によって、霊的復帰路程の苦難の路程を歩まれたように、再臨のときにおいても、もし第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが不信に陥るならば、その霊的な苦難の路程を、再び実体をもって蕩減復帰されなければならないのである。イエスが「しかし、彼(イエス)はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカ一七・25)と言われた理由は、とりもなおさず、ここにあるのである。 それゆえに、イエスは初臨のときに、彼のために召命された第一イスラエル選民を捨てられ、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立て、新しい霊的な摂理路程を歩むほかはなかったのと同様に、再臨のときにも、キリスト教信徒たちが不信に陥るならば、彼らを捨てて新しく第三イスラエルを立て、実体的な摂理路程を成就していくほかはない。さらにまた、イエスは再臨のときも初臨のときと同じく、彼の道を直くするために洗礼ヨハネの使命(ヨハネ一・23)を担ってくるはずの先駆者たちが、その使命を全うし得ないときには、再臨主御自身が、再び洗礼ヨハネの立場で、第三次世界的カナン復帰摂理のための「信仰基台」を実体的に造成しなければならないので、苦難の道を歩まれなければならないようになるのである。
しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)(1))、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。イエスは、初臨のときには、ユダヤ教の反逆者であると見なされて亡くなられたのであったが、彼が再臨なさる民主主義社会においては、たとえ、彼が異端者として追われることがあるとしても、それによって死の立場にまで追いこまれるようなことはないのである。
それゆえに、再臨主がいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、彼が立てられる実体的な「信仰基台」の上で、彼を絶対的に信じ、彼に従い、彼に侍る信徒たちが集まって、第三次世界的カナン復帰の実体路程のための「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を造成することによって「メシヤのための実体的な基台」をつくるようになることは確かである。
第三次民族的カナン復帰路程において、モ−セのときには、磐石を中心とする「出発のための摂理」をするようになっていたのであるが、ヨシュアのときには、磐石よりももっと内的なそのわき水を中心とする「出発のための摂理」をされたのであった。これと同じく、イエスも初臨のときには奇跡をもって「出発のための摂理」をされたが、再臨のときには、それが内的なものとなった、み言を中心として「出発のための摂理」をされるのである。なぜなら、既に前編第三章第三節(二)において論及したように、み言をもって創造された人間が(ヨハネ一・3)、堕落によってみ言の目的を成就することができなかったのであるから、神はこの目的を再び完遂なさるためには、「み言」の外的な条件を立てて復帰摂理をなさり、摂理歴史の終末に至って、「み言」の実体であられるイエス(ヨハネ一・14)を再び送られて、「み言」を中心とする救いの摂理をなさらなければならないからである。
神の創造目的を、心情の因縁を中心として見るならば、神は、霊的な父母として、人間を実体の子女として創造されたのである。そして、最初に神の二性性相の形象的な実体対象として創造されたアダムとエバは、神の第一の実体対象として、人類の父母となるのである。それゆえに、彼らが夫婦となって子女を生み殖やし、父母の愛と夫婦の愛、そして子女の愛を表し、父母の心情と夫婦の心情、そして子女の心情によって結ばれる家庭をつくるようになっていたのであるが、これがすなわち三対象目的をなした四位基台であったのである(前編第一章第二節(三)参照)。
このように、神は天の血統を継承した直系の子女によって、地上天国をつくろうと計画されたのであった。しかし、既に堕落論において詳しく述べたように、人間始祖が天使長と血縁関係を結ぶことによって、すべての人類はサタンの血統を継承して、みな悪魔の子女となってしまったのである(マタイ三・7、マタイ二三・33、ヨハネ八・44)。それゆえ、人間始祖は神と血縁関係を断ちきられた立場に陥ってしまったのであるが、これがすなわち堕落である(前編第二章参照)。
それゆえに、神の復帰摂理の目的は、このように神との血縁関係が断たれてしまった堕落人間を復帰して、神の直系の血統的子女を立てようとするところにあるのである。我々は、このような神の復帰摂理の秘密を聖書から探してみることにしよう。
先に論じたように、堕落して殺戮行為をほしいままにしたアダム家庭は、神との関係を断たれてしまったのである。しかし、ノアのときに至って、その二番目の息子であり、アベルの立場におかれていたハムの、その失敗によって、神と直接的な関係を結ぶところにまでは行かれなかったが、それでもノアが忠誠を尽くした基台があったので、僕の僕(創九・25)としての立場に立つことができ、神と間接的な関係を結ぶことができたのである。これがすなわち、旧約前の時代における神と人間との関係であった。
信仰の父であるアブラハムのときに至り、彼は、「メシヤのための家庭的な基台」をつくって、神の選民を立てたので、彼らは初めて神の僕の立場に復帰することができた(レビ二五・55)。これがすなわち、旧約時代における神と人間との関係であった。イエスが来られてのち、洗礼ヨハネの立場でもって立てられた、その「信仰基台」の上に立っていた弟子たちは、初めて、旧約時代の僕の立場から、養子の立場にまで復帰されたのである。彼らが神の直系の血統的子女となるためには、イエスに絶対的に服従して「実体基台」をつくることにより、「メシヤのための基台」を造成し、その基台の上に立っているイエスに、霊肉併せて接がれることによって(ロマ一一・17)、彼と一体とならなければならなかったのである。
イエスは、原罪のない、神の血統を受けた直系のひとり子として来られ、堕落したすべての人類を彼に接がせて一体となることにより、彼らが原罪を脱いで神の直系の血統的子女として復帰することができるように摂理しようとしてこられたのである。イエスと聖霊とが、人類の真の父母として、このように堕落人間を接がせ、原罪を脱がしめることにより、神との創造本然の血統的因縁を結ばしめる摂理を、重生というのである(前編第七章第四節参照)。それゆえに、イエスは、野生のオリ−ブである堕落人間を接がせるために、善いオリ−ブとして来られた方であるということを、我々は知らなければならない。
しかし、弟子たちまでが不信に陥ったために、イエスは、洗礼ヨハネの立場から、一段上がってメシヤの立場に立つことができないままに、十字架で亡くなられたのである。それゆえ、復活したイエスが、霊的洗礼ヨハネの立場から、復活四十日のサタン分立期間をもって霊的な「信仰基台」を立てられたのち、悔い改めて戻ってきた弟子たちの信仰と忠節とによって、霊的な「実体基台」が立てられた結果、そこで初めて「メシヤのための霊的な基台」が造成されたのである。そしてついにこの霊的な基台の上に霊的メシヤとして立たれるようになったイエスに、霊的に接がれることによって、初めて信徒たちは、霊的な子女としてのみ立つようになったのであるが、これがすなわち、イエス以後今日に至るまでの霊的復帰摂理による神と堕落人間との関係であった。それゆえに、イエス以後の霊的復帰摂理は、あたかも神が霊界を先に創造されたように、そのようなかたちの霊的世界を、先に復帰していかれるのであるから、我々堕落人間はまだ、霊的にのみしか、神の対象として立つことができないのである。したがって、いくら信仰の篤いキリスト教信徒でも肉的に継承されてきた原罪を清算することができないままでいるので、サタンの血統を離脱できなかったという点においては、旧約時代の信徒たちと何ら異なるところがないのである(前編第四章第一節(四))。このように、キリスト教信徒たちは、神と血統を異にする子女であるので、神の前では養子とならざるを得ないのである。かつてパウロが、聖霊の最初の実をもっているわたしたち自身も、嘆いて養子とせられんことを待ち望んでいると言った理由も、実はここにあったのである(ロマ八・14)。
それゆえに、イエスは、すべての人類を、神の血統を受けた直系の子女として復帰するために、再臨されなくてはならないのである。したがって、彼は初臨のときと同じように、肉身をもって地上に誕生され、初臨のときの路程を再び歩まれることによって、それを蕩減復帰されなければならない。それゆえに、先に既に論じたように、再臨のイエスは、み言を中心とする「出発のための摂理」によって、「メシヤのための基台」を実体的に造成し、その基台の上で、すべての人類を霊肉併せて接がせることにより、彼らが原罪を脱いで、神の血統を受けた直系の子女として復帰できるようにしなければならないのである。
それゆえに、イエスは初臨のときに「メシヤのための家庭的な基台」の中心人物であったヤコブの立場を蕩減復帰なさるために、三人の弟子を中心として十二弟子を立てられることによって、家庭的な基台を立てられたのであり、また、七十人の門徒を立てられることによって、その基台を氏族的な基台にまで広めようとされたように、彼は、再臨される場合においても、その「メシヤのための基台」を、実体的に家庭的なものから出発して、順次、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的なものとして復帰され、その基台の上に、天国を成就するところまで行かなければならないのである。
神は、将来、イエスが誕生されて、天国建設の目的をいちはやく成就させるために、第一イスラエル選民を立てることによってその土台を準備されたのであったが、彼らがそれに逆らったので、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立てられたように、もしも、再臨イエスの天国建設の理想のために第二イスラエルとして立たせられたキリスト教信徒たちが、またもや彼に背くならば、神はやむを得ず、その第二イスラエル選民をも捨てて新しく、第三イスラエル選民を選ばれるほか、致し方はないのである。それゆえに、終末に処しているキリスト教信徒たちは、イエスの初臨当時のユダヤ民族と同じく、最も幸福な環境の中におりながらも、また一方においては、最も不幸な立場に陥るかもしれない運命の岐路に立たされているとも考えられるのである。
(四)イエスの路程が見せてくれた教訓
第一に、ここにおいても、み旨に対する神の予定が、どのようなものであるかということを見せてくださった。神はいつでもそのみ旨を絶対的なものとして予定され、それを成就していくために、洗礼ヨハネがその使命を完遂し得なかったとき、メシヤとして来られたイエス御自身が、その使命を代理されてまでも、その目的を達成しようとされたのであったし、またユダヤ人たちの不信によって地上天国がたてられないようになったとき、イエスは再臨されてまでも、そのみ旨を絶対的に成就しようとなさるのである。
つぎに、選ばれたある個人、あるいは、ある民族を中心とするみ旨成就に対する神の予定は絶対的なものでなく、相対的なものであるということを見せてくださった。すなわち神は復帰摂理の目的を達成されるために、ある人物、または、ある民族を立てられたとしても、彼らが自己の責任分担を完遂することができないときには、必ず新しい使命者を立てられて、その使命を継承させたのであった。すなわち、イエスは彼の第一の弟子として洗礼ヨハネを選ばれたのであるが、彼がその責任を完遂し得なかったために、その代わりとしてペテロを選ばれた。また、イスカリオテのユダを十二弟子の一人として選んだのであるが、彼が責任を全うし得なかったとき、彼の代わりにマッテヤを選ばれたのである。(使徒一・26)。また、復帰摂理の目的を達成なさるためにユダヤ民族を選ばれたのであったが、彼らがその責任を全うすることができないようになったとき、その使命を、異邦人たちに移されたのであった(使徒一三・46、マタイ二一・33〜43)。このようにいくらみ旨成就のために選ばれた存在であっても、彼を中心とするみ旨の成就は、決して絶対的なものとして予定なさることはできないのである。
つぎに神は、人間の責任分担に対しては干渉されず、その結果だけを見て主管されるということを見せてくださった。洗礼ヨハネやイスカリオテのユダが不信に陥ったとき、神はそれを知らなかったはずはなく、またそれを止め得ないはずもなかったのであるが、彼らの信仰に対しては一切干渉されず、その結果だけを見て主管されたのである。
つぎに、大きい使命を担った人物であればあるほど、彼に対する試練もまたそれに比例して大きいということをも見せてくださった。アダムが不信に陥り、神を捨てたために、後のアダムとして来られたイエスが、その復帰摂理の目的を成就されるためには、アダムの代わりに神から捨てられた立場をもって信仰を立て、その堕落前の立場を蕩減復帰しなければならなかったのである。それゆえにイエスは、荒野において、サタンの試練までも受けなければならなかったのであり、また、十字架上で神から見捨てられるということまで体験されなければならなかったのである。(マタイ二七・46)