救いの摂理史の原理観

文鮮明先生

(世界平和家庭連合創始者)

 尊敬する内外貴賓、世界平和家庭連合会員、そして、紳士淑女の皆様!

 暖かい春の気運が、大地を包み、天下の万物はここに答えるように新しい生命と希
望に向かって躍動する燦爛たるこの春に、21世紀を目の前にした我々は、もう一度人
生の里程表を定立してみる時となりました。

 このような時に、私は、今日各界の高名なる指導者の皆様とともに、人間の生命の
揺藍であり、平和世界の礎石になる真の家庭に関して、ともにみ言を分かつようにな
ったことを、限りない喜びと思います。
 今日のこの集まりが、未来の健全な家庭と平和の世界を成す、貴い動機になること
を願います。

 神様は、絶対者であられ、唯一、不変、永遠であられる方です。そのみ旨も同じで
す。もし、アダム・エバが神様の愛で一体となったなら、万事は完全、完成なのです
。それゆえ、神様の出発と目的と過程、そして、その原因と結果と方向も絶対的なの
です。人間始祖アダム・エバは、無知から堕落して混沌に陥りました。個人的無知と
混沌から家庭に、そして国家、世界的無知と混沌に陥るようになりました。
 この堕落圏を脱するためのものが、宗教と救いの摂理の努力なのです。

 終わりの日にメシアが来て、神様の側から見る、絶対、唯一、不変、永遠の原因と
方向と結果を確実に教えてあげ、無知と混沌の世界を清算し、本然の神様の懐に入ら
なければならないのが、み旨の完成なのです。そのようにならなければ、終わりの日
に宗教も、主義、思想も、国家も皆滅びるようになるのです。今がまさにその時なの
です。

 皆さんがご存知のように、今、人類歴史は2000年代に向かった大転換点を迎えてい
ます。このうような重大な時点で、今日「救いの摂理史と原理観」を主題として、新
しい時代を準備する我々の心を固めようと思います。

 創造主と人間との真の愛を中心として、完全、完成を願う神様は、人間と一体にな
った条件が必要でした。それで、神様は、人間始祖に下さる戒めが必要だったのです
。人間が、成長期間を経て育ちあがる未完成段階にいたことをご存知であり、神様は
子女である人間に最も貴い真の愛を相続してくださろうという条件が戒めでした。

 本来、真の愛は、経験を通じて得て、体恤を通じて知るようになっています。
 真の愛は、言葉や文字、あるいは一般の教育を通じて体得できるものではありませ
ん。生活を通じてのみ、完全に体得するのです。赤ん坊として創られたアダム・エバ
は、成長しながら段階的生活を通じて経験することで、真なる子女の心情、真なる兄
弟の心情、真なる夫婦の心情、真なる父母の心情を体恤して完成するようになってい
ます。神様の真の愛を全体的に体恤するとき、初めて創造目的を完成した理想的な人
間になるのです。

 愛は、自分の愛する相対が、自分より何千万倍、いや、無限大の価値的存在として
現れるのを願います。このように、神様もご自身が愛する相対である人間が、無限な
価値的存在になるのを願われるのです。人間が完成すれば、神性を成し、天の父が完
全であられるように完全であり、神様的な価値を成すのです。

 神様が絶対者であられますが、真の愛の理想は、一人では成すことができません。
 愛の理想は、必ず相対を要求するためです。我々は、ここで、神様の真の愛と人間
の真の愛の出発と完成が、互いにどのような関連を持つのかを知らなければなりませ
ん。もし、神様が真の愛の絶対的な対象体として人間を立てず、他の方法を通じてご
本人の真の愛の出発と完成を成そうとされたなら、どのようになるでしょうか? 神
様と人間の真の愛の理想は、各々動機が違うようになり、二つの愛の方向と目的は、
異なるしかなくなるようになります。このようになるなら、神様の愛の理想は、人間
より上位にまた一つの愛の対象を立てて、成さなければならず、一方で人間の愛の理
想は、神様と直接的な関係を持つことができないようになってしまいます。

 真の愛の主体であられる神様は、その真の愛の相対者として人間を立てました。神
様の愛の理想は、人間を通じてのみ完成するのです。神様の創造目的は、神人愛一体
の絶対的愛の理想世界です。人間は、神様の最高最善の愛の対象として創られました
。それゆえに、人間は、創造物のうちで唯一、神様の実体を身にまとった対象です。

 無形の神様の前に、見える体として生まれました。人間は、完成すれば神様の聖殿
になります。神様が自由に、また、楽にいつでも入ってきていることができる有形の
実体です。
 神様の絶対的な真の愛の全体的理想は、人間を通じて、父母と子供の縦的関係とし
て実現完成されます。

 神様は、ご本人の体としてアダムを先に創られました。アダムは、神様の息子であ
ると同時に、体を被った神様自身でもあります。その次にアダムの相対者として、エ
バを創られ、横的な愛、すなわち、夫婦の愛を完成しようとしました。エバは、神様
の娘であると同時に、神様の横的な愛の理想を実体として完成する新婦でもあったの
です。

 アダム・エバが完成して、神様の祝福の下に結婚をして、初愛を結ぶその場は、す
なわち神様の実体の新婦を迎える場であるのです。アダム・エバの夫婦の愛の理想が
、横的に結実されるその場に、神様の絶対の愛の理想が縦的に臨在、同参されるの
で、神様の真の愛と人間の真の愛の一点で、縦横の基点を中心として出発し、一点か
ら結実完成するようになるのです。これが家庭の夫婦という驚くべき事実なのです。
神様の創造は、必然でした。目的のない創造は仮想することができません。

 神様において、創造が必要だった理由は、ただ一つ、真の愛の理想でした。最も簡
単で低級な被造物から、人間に至るまで、各々主体と対象、陽性と陰性のペアとして
展開された理由も愛の理想の下に相対関係を形成するためのものです。被造物の愛の
理想と神様の究極的な愛の理想が、別個ではありあません。人間世界の男と女の愛の
完成を通じて、神様の絶対愛が完成されるようにされたのが創造原理です。創世のと
きに人間をアダム・エバ、一男一女として創造された理由もここにあります。

 神様の創造目的は、アダム・エバが真の愛の主体であられる神様の戒めを守って、
真の愛で完成されるのです。さらに、神様の真の愛で一つになった真なる夫婦になる
のです。また、彼らがその真の愛の中で息子娘を持って、幸福で豊かに暮らすことが
できる真の父母になるのです。アダム・エバが、真の愛で完成されることは、すなわ
ち、神様が実体を身にまとう希望が成就されることです。そして、彼らが真なる夫婦
として完成されることは、すなわち、神様の絶対的な愛の理想の完成を意味します。

 次に、アダム・エバが善なる子女を持ち、真の父母になることは、すなわち、神様
が永存の父母の位を実体的に確定づけ、また、神様が人間の血統を通じて子々孫々繁
栄されることで、天上天国の市民を無限にお置きになりたいという理想を成就される
ようになるのです。神の民は、我々人間の子孫を通じて成されるのです。

 ところで、人間始祖アダム・エバは、堕落してしまいました。エデンから追い出さ
れるとき、彼らは子女を抱えませんでした。神様が追い出されたアダム・エバを、エ
デンの外まで訪ねていって、祝福して、結婚式をしてくださるはずは決してありませ
ん。全人類は、神様の愛と関係なく繁殖した、追い出された先祖の後孫です。これを
知るべきです。知らないで生きるのは地獄へ行くのです。

 満場の内外貴賓の皆様!
 人類の堕落が、木の実を取って食べた結果でありえるでしょうか?
 アダム・エバの堕落は、神様の真の愛の理想を裏切った不倫の犯罪です。守るべき
戒めが必要だった堕落前のアダム・エバは、未完成段階、すなわち、成長期間で堕落
しました。

 蛇で標示された天使長の誘引を受け、エバが霊的に堕落し、そのエバがアダムを誘
引して(時でない時に善悪の実を取って食べた) 肉的な堕落をしてしまったのです。

 本然の園で、神様と対話しながら嬉しく飛び回って遊んで暮らしていたアダム・エ
バが、死にひざまづいてまで犯しうる、可能な犯罪は、過った愛の犯罪しかないので
す。人類の先祖の初愛の結合は、神様自身の愛の完成でもあるので、当然、神様も、
アダム・エバも、宇宙万象も、歴史を通じて歓喜と祝福の中に酔う、幸福な宴の連続
でなければなりません。神様の愛と生命と血統が、人間の中で始まりながら、定着す
る幸福な儀式でなければなりません。

 ところで、彼らは下半身を隠し、木の後ろに隠れて、不安に震えました。天道に逆
らう偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源を作った不倫の関係を結んだためです
。堕落したアダム・エバの後孫である全人類は、子々孫々生まれるときから原罪があ
るようになります。人類が個体の中に心と体の相克を矛盾として感じるようになるの
も、堕落に根源があり、愛の秩序が乱れた社会の中で、本心が願わない人生を生きて
いくのも、すべてここに由来しました。

 愛の理想を中心として見るとき、動・植物世界では、その愛の関係がすべて繁殖を
前提にしてのみ成されます。しかし、人間だけはその例外です。人間は、夫婦の愛の
関係に自由を享受します。これが万物の霊長になった特権です。神様は、息子、娘で
ある人間が、無限な愛の喜びを持つように祝福しました。神様が許した真なる自由は
、責任性を前提とします。もし、責任性がなく、個々人の愛の自由だけ主張して実践
したら、どれほど大きな混乱と悲劇がやってくるでしょう? 至高の愛の理想を成す
人間の完成は、愛に対する責任性を持つとき可能なのです。

 その責任性は、次の三つに考えることができます。第一は、人間は、愛の自由を下
さった神様に感謝しながら自己修養、自己管掌として自由の主体となる責任です。愛
において、愛の責任性は、法や人目のために守られるのではなく、神様との生命的、
縦的関係の中で自己主管、自己決断で守られるのです。

 第二は、相対に対する責任性です。人間は、本性的に、自己の相対の自己に対する
愛が、分けられるのを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、父母と子供の間の縦
的な愛の関係と異なり、分けられればすでにその完全性が破壊されます。これは、夫
婦間に絶対的な愛の一体を成すようになっている創造原理のためです。愛は、絶対に
自分の相対のためにすべき責任性があります。

 第三は、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地は、父母の愛
です。子女たちは、真の愛で和合一体した父母を通じて、生命が生まれ、そのような
愛の中で養育されるのを願います。父母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育
だけではなく、彼らの霊性を完全にしてやる真の愛の生命的な要素を提供することで
す。そのためには、神様と一つにならなければなりません。家庭が貴重な理由は、こ
のためです。生活的な経験を通じて、体得する真なる子供の心情、兄弟の心情、夫婦
の心情、父母の心情を、真なる家庭以外では、どこでも得ることができません。

 アダム・エバが、神様を中心とした真の愛の夫婦を成すようになれば、神様は理想
とされた通りご自身の実体であるアダムの体の中におられながら、エバを愛されるよ
うになるのです。さらに、アダム・エバは、神様の実体を身にまとった真の父母にな
り、善の愛、善の生命、善の血統の始まりになったことでしょう。

 しかし、堕落によって、アダム・エバはサタンの実体になって、悪なる夫婦、悪な
る父母、悪なる先祖になってしまいました。彼らの結合は、悪なる愛と、悪なる生命
と、悪なる血統の根になってしまったのです。人類はすべてこの根に根元を置いたの
で、生まれるときから神様の怨讐であり、姦夫であるサタンの後孫になり、悪なる父
母の血統を受け継ぐようになってしまったのです。

 親愛なる紳士淑女の皆様!
 人類の先祖の堕落で、真の愛の理想が崩れたとき、神様の苦しみがどれほど大きか
ったでしょう? 神様の子女になるべき人間たちが、本来の父母であるご自身を知ら
ずに、むしろサタンに仕えても、神様は救いの役事をしてこられたのです。
 絶対的な神様の創造理想も、絶対的であるので、悲しい救いの役事をされるしかあ
りませんでした。神様の救いの摂理は、失った真の愛の創造目的を再び回復する復帰
摂理です。それゆえ、救いの摂理は、再創造摂理でもあります。

 このような点で、復帰摂理の根本は、どのようにすれば創造理想を完全する人間の
種、本然の子供の種を探すかにあるようになります。神様がいちばん嫌う、姦夫とな
ったサタンの偽りの愛に由来した生命と血統を、清算しなければなりません。神様の
真の愛と生命と血統と一体となった救世主、真の父母をどのように生まれさせ
るかというのです。

 人間の先祖が、自分の責任分担を完遂できず、不倫の血統関係を結び、サタンの主
管を受けるようになったので、神様が直接立ち上がって現状回復させることはできま
せん。神様は、サタン側に回った人類を、条件なく善の立場で取ることも、打つこと
もできないのです。神様は、善の側にいる中心人物を立て、まず打たれながら蕩減条
件を立てるようにして、奪ってくる作戦をしてこられました。しかし、サタンは、ま
ず打って、奪われる立場になりました。第一次、第二次、第三次の世界大戦が、その
良い例になります。まず打った側が滅びました。これが歴史の鉄則です。打った側は
、いくら祈ってもなされないのです。
 復帰摂理を概観すれば、母子協助の基盤が重要でした。ヤコブのとき、モーセのと
き、イエス様のときは、皆そうでした。堕落の張本人であるエバに代わって、責任を
取る母を立て、次子と母子協助をしながら、サタンの血統とせいめいを分立しようと
する摂理が存在してきたためです。神様は、堕落で人類を先に占有したサタンと血縁
的に直結した長子に真っ直ぐに対することがおできになりません。神様は、善の側を
代表する次子を相手に条件を立てさせ、悪の側を代表する長子を屈服させることで、
善の血統を復帰してこられました。聖書に、次子を立てる理由は、ここにあります。

 アダム家庭で、神様は次子アベルを立て、長子カインを屈服させようとする摂理を
されました。堕落した母ですが、そのエバを中心として、二人の息子を一つにしよう
とする努力がありましたが、結果はカインがアベルを殺害することによって、救いの
摂理は終結を見られず、延長され始めたのです。ノアのときも、母子協助の基準はあ
りましたが、本格的な母子協助の基準は、リベカ−ヤコブのときからです。

 人類の堕落は、アダム、エバ、天使長のこのような三つの存在により引き起こされ
ました。
 天使長がエバを誘引して霊的堕落をし、その次に堕落したエバがアダムを誘引して
肉的堕落をすることで、神様を裏切ったのです。堕落した天使長がサタンになりまし
た。従って、救いの摂理は、復帰摂理であり、復帰の原則は180度反対の道を通じて
なるのです。

 真の愛と生命の種を持ったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい
種を持った息子を探し出さなければなりません。創造のとき、アダムを先に創ったよ
うに、再創造摂理である復帰摂理も、堕落と関係ない息子を先に立てなければならな
いのです。これがメシア思想の根本です。メシアは、サタンの管掌下にいる堕落した
血統を持った人たちの生命を否定し、新しい生命の種を接ぎ木してやるために来られ
る真の人であられます。根は神様に置きますが、後のアダムとして来て、アダムとし
て引き起こしたものを清算すべきメシアです。神様が、能力だけで役事する超人をメ
シアとして送ることができない事情が、まさにここにあります。

 この地に神様の愛と生命の種を持って生まれる息子のために、まず母がいなければ
なりません。母が息子を産むとしても、ただそのまま産むことができないのです。必
ず復帰の公式を通じて産まなければならないのです。復帰摂理の中に現れた母子協助
は、すべてが天の息子がサタンの讒訴を免れた新しい生命の種を持って着地するため
の準備であり、条件なのです。母子がすべてサタンの攻撃を免れることができる条件
を建てた土台の上で、サタンを代表する長子を屈服させることでサタンが先に占領し
た愛と生命と血統を復帰してこられたのです。

 神様の摂理歴史を記録した聖書の中に、理解できない記録がたくさんあります。リ
ベカが夫のイサクと長子エサウをだまして、次子ヤコブを助けて、彼が祝福を受ける
ようにしました。神様は、一見して不当に見える方法を動員したその母子の側に立た
れて、彼らに祝福を続けて与えました。アダム家庭では、カインとアベルの兄弟が胎
外で争い、次子アベルがむしろ殺されました。

 ヤコブは、アベル以後、サタン側に立った多くの人の犠牲と蕩減条件の基台の上に
立ったので、先に占領したサタンにもっと追いついて、双子の兄のエサウを相手にす
るようになったのです。結果的に、ヤコブは、ヤボク川で天使を屈服させる霊的勝利
の条件と、実体天使上の体であるエサウを屈服させることで、歴史以来初めて勝利し
たというイスラエルの祝福を受けるようになりました。しかし、そのときは、すでに
年が40代でした。

 サタンの偽りの愛の種が、エバの胎中に蒔かれて、悪の生命が生まれたから、神様
は、母の胎中まで入って分別しておかなくては、天の息子が胎中から誕生することが
できないのです。それゆえ、ヤコブの勝利によっても、まだ分別されなかった懐妊か
ら40代までも期間も、サタンの分立がなされなければなりません。結果的に、この責
任を受け持った偉大な母がタマルです。

 タマルは、ユダヤの長男エルと結婚しましたが。エルは神様に相応しい人ではなく
、死んでしまいました。当時の慣例に従い、ユダは次子オナンをタマルに与え、子供
を産むようにしましたが、オナンは生まれる赤ん坊が自分のものにならないだろうと
知って、精子を地に流しました。これが神様の前に罪になり、オナンも死んでしまい
ます。タマルは、ユダの3番目の息子セラと共にしようとしましたが、ユダはセラを
タマルにやりませんでした。

 タマルにより、2人の息子が死んだと思ったユダは、セラまでも死んで家系が絶え
るのを心配したためです。タマルは、選民の血統を受け継ぐという一念で、売春婦に
偽装して、義理の父であるユダを迎えて双子の赤ん坊を持ちました。赤ん坊たちが生
まれるとき、先に手を出して出てこようとした長子の赤ん坊が、再び入り、弟になる
べき次子の赤ん坊が兄になって先に生まれましたが、彼がベレツです。タマルの胎中
で、長子と次子が戦って分立される胎中復帰が成されたのです。

 このような条件の上に、選民の血族を集めて2千年後に、ローマ帝国の国家基準に
対峙するイスラエルの国家的基盤の上に、メシアが懐妊することができたのです。神
様の息子の種が準備された母の胎中に、サタンの讒訴なく位置を見出すことができる
ようになった国家的勝利の基盤が造成されたのです。このような基盤の上に、聖母マ
リアが摂理の主流に登場するのです。ここまで、何千万年かかりました。

 ヨセフと婚約したマリアは、自分の体を通じてメシアが生まれるという(ルカ1:3
1)、ガブリエル天使上の驚くべきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を持
てば、死ぬしかないという当時の規則でしたが、「主のはしためです。お言葉どおり
この身に成りますように」(ルカ1:38)と言いながら、絶対信仰で神様のみ旨を受け
ました。

 マリアは、親族であり、尊敬される大祭司長ザカリアに相談しました。ザカリアの
家庭では、その夫人のエリサベツが神様の能力によって妊娠した洗礼ヨハネを胎中に
持ったまま、マリアに対して「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も
祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄
でしょう」(ルカ1:42〜43) とイエス様の懐妊を証しました。
 このように、神様は、マリアとザカリアとエリサベツをして、メシアの誕生をいち
ばん先に知らせました。彼らは、イエス様によく侍って、神様のみ旨をよく奉ずべき
重大な使命を持った者たちでした。ザカリア夫婦は、マリアを自分の家にとどめまし
た。イエス様は、ザカリアの家庭ではらんだのです。

エリサベツとマリアの間は、母方のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(カイン)
と妹(アベル)の関係でした。ザカリアの前でエリサベツの助けを受けたマリアは、レ
アとラケルがヤコブの家庭で母子が一体となれなかったのを、国家的基準でザカリア
の家庭を通じて蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させるべきでした。歴
史以来、初めて神様の息子の種、真の父になるべき種が、準備された母の胎中にサタ
ンの讒訴条件なく着地したのです。それゆえ、地上に初めて神様の初愛を独占しうる
一人子が誕生するようになったのです。
 当時の法により、容認されもしないまた、常識でも考えられないことをマリアがや
り遂げなければなりませんでした。3人が皆霊的に感動し、神様から来た啓示によっ
て、それが神様のみ旨であり、希望であることを無条件に信じて従わなければならな
かったためでした。

 神様の息子は、たとえ着地をしたとしても、サタン世界の中で無事に育って、み旨
を成すためには、保護される囲いが必要なのです。神様は、ザカリアの家庭の3人に
その基盤になってくれること期待されました。3人が神様の息子を保護して侍ること
に、どのように専念して、どれほど長い間一つになったかについては、考えるべき点
がたくさんあります。
 聖書には「マリアが3か月ほど滞在してから、家に帰った」(ルカ1:56) と記録
しています。その後、聖書で見る限り、マリアとエリサベツとザカリアは、互いに往
来した記録がありません。

 ここから、マリアとイエス様の困難が始まりました。ザカリアの家庭は、最後まで
イエス様の囲いになるべきでした。少し過ぎてヨセフは、マリアが妊娠した事実を知
るようになりました。このとき、彼の衝撃がどれほど大きかったでしょう? 愛する
婚約者マリアが、自分とは何ら関係もない状態で、3か月間どこかに行って、帰って
きたときは赤ん坊を妊娠していたとは、ヨセフがマリアに、胎内に誰の赤ん坊を宿し
ているのかを追及するのは当然なことでした。そのとき、もしマリアが正直に話して
しまったら、どんなことが起こったでしょうか? もし明らかにした場合には、一族
が滅びるようになるのです。それゆえ、マリアはただ「聖霊によってみごもった」と
だけ言ったのです。生き残るためにそう言ったのです。

 マリアのお腹がふくらんできて、周囲の人たちも妊娠したことを知るようになりま
した。そのときヨセフが、自分は知らないことだと言ったら、またどのようになった
でしょうか? ヨセフは、神様の啓示を信じて、妊娠が自分の責任だと防御した義人
でした。こうして、マリアは、婚約期に妊娠したという嘲笑を受けたとしても、石を
ぶつけられて死ぬことはなかったのです。

 マリアを愛するヨセフは、初めはこのようにマリアを守ってやりました。しかし、
ヨセフの心の底には、悩みが多かったのです。特に、生まれたイエス様を見守るヨセ
フは、その父に対する疑問とつながって、心の中の苦痛をしばしば経験するようにな
りました。イエス様が育ちながら、ヨセフと関係が心情的に距離が生じ、これによっ
て家庭にしばしばごたごたが起こったことは、間違いない事実です。このようにイエ
ス様は、私生児の立場でザカリアの家庭の保護も受けられず、また、ヨセフとの難し
い条件で、心情的に言葉で言えない寂しい立場で育ちました。

メシアの道を自覚するようになったイエス様は、寂しい事情が、神様のみ旨をなすの
に深刻な障害の要因であることを一人もどかしく思いました。メシアは、真の父母で
あり、その使命のためには、実体の新婦をお迎えにならなければなりません。天使長
が、アダムと兄妹のように育ったエバを、偽りの愛で堕落させたことを根本的に復帰
すべきイエス様です。従って、アダムの代わりに神様の息子として来られたイエス様
は、天使長型の妹を妻として迎えるべきでした。それがまさにザカリアの娘、洗礼ヨ
ハネの妹なのです。腹違いの妹と結婚すべきだったのです。サタンの権勢が主人の役
割をしている世の中で、このことが成就するためには、絶対的な信仰で形成された保
護の基台がなければなりません。不幸にも、イエス様の周辺では、このような基盤が
みな崩れてしまいました。

 もし、ザカリアとエリサベツが、神様の啓示と霊的な恵みの下に、初めて持った絶
対的な信仰を続けて持っていたら、状況は全然違ったことでしょう。彼らが責任を果
たしたら、マリアは3か月後にその家を出てきても、継続的に彼らと往来して相談し
たことでしょう。ザカリアの家庭は、イエス様の誕生後にも地を代表していちばん先
頭に立ってメシアを保護して侍りながら、証すべき人たちとして、神様が選んだ家庭
です。彼らは、イエス様を神様の息子として、メシアにこの上ない精誠で侍るだけで
なく、また、イエス様を通じて、神様のみ旨を受けて、絶対的に従ったでしょう。

 そして、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネだったので、彼が悔い改めさせた民
をして、イエス様を信じて救われるように導く責任を果たしたでしょう。しかし、不
幸にも、ザカリアも、エリサベツも、洗礼ヨハネも、イエス様を神様の息子として証
しだけしたのであって、侍った実績は一つもありませんでした。

 尊敬される祭司長であるザカリアが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場
に立つようになったので、むしろイエス様の行く道をもっと難しくし、民が従えない
ようにしてしまいました。
 まして、彼らが信仰を失って、人間的な思いに流れるときに、イエス様が願われた
新婦を迎えることを助けたはずがなかったのです。

 次に考えるべき点は、ヨセフとマリアの関係が、イエス様に及ぼした影響です。マ
リアは、エバとタマルを蕩減復帰すべき立場なので、ヨセフとは、婚約関係だけでい
るべきでした。しかし、摂理的に見れば、彼らの関係は夫婦間でありえません。それ
ゆえ、彼らはイエス様の誕生するときまではもちろん、その後にも性関係を結んでは
いけないのが、神様の願いでした。ヨセフは、マリアに対してイエス様の誕生後にも
、続けて愛の心を持ちました。マリアは、ヨセフと別れて、イエス様を神様の息子と
して育てたい心があったでしょう。

 しかし、現実はそれを容易く許しませんでした。本心ではいけないとしながら、マ
リアはヨセフと性的関係を結ぶようになり、子女を持つことでエバの失敗を反復する
結果になってしまいました。サタンは、これを条件にして彼らに侵犯するようになり
ました。イエス様一人残して、すべてサタンの管掌下に入った結果になったのです。
イエス様を守るべき父も、母も、アベル側の兄弟も(洗礼ヨハネとその兄弟)、カイン
側の兄弟も(ヨセフの子女) すべてサタン側になってしまいました。

 人がサタンの侵犯を受けると、すでに霊的に受けた恵みと感動を失ってしまいます
。神様に対する確信と感謝を失うようになります。すべてを人間的に考えるようにな
ります。こうして、マリアまでイエス様が願われる結婚を助けられず、むしろ反対し
てしまったのです。これが、イエス様が新婦を迎えて真の父母になれず、十字架の道
を行かざるをえなかった直接的な原因になったのです。

 カナの婚姻の宴で、イエス様がマリアに「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係
わりがありますか?」(ヨハネ2:4)と言ったのも、最も貴い摂理の要請が、イエス
様の新婦を迎えることに等閑視して、遠い親戚の婚姻の宴を助けようとするマリアを
叱責した心情が表出したのです。「私の母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、
だれのことか」(マタイ12:48) と言われたみ言も、このような基準で理解すべきで
す。

 イエス様は、母マリアからも、ザカリア、エリサベツからも反対され、最後に洗礼
ヨハネからも反対され、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念するしか
ありませんでした。新しく霊的な基盤を探して、再び復帰摂理をなさろうと出発した
のが、イエス様の出家でした。

 出家したイエス様は、行く所がありませんでした。「きつねには穴があり、空の鳥
には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ8:20) と嘆息さ
れました。家門の基盤を失ったイエス様は、それに代わりうる基盤を探して立ち上が
ったのです。これが、イエス様の3年路程でした。しかし、民族が不信して、弟子た
ちの信仰が弱くなり、サタンの侵犯を受けてしまったので、イエス様の基台は崩れて
、十字架の道を行かれるしかありませんでした。本来イエス様は、メシアとして地上に
来て、弟子たちと万民を祝福され、罪のない天国をなすべきでした。しかし、不信さ
れ、新婦を迎えられなかったので、真の父母になれず、その使命を完遂することがで
きませんでした。それで、再臨することを約束されました。

 今日、このようにイエス様とマリアに関する内容を、詳細に明らかにしてさしあげ
るのは、これまで既存のカトリックとプロテスタントの反対が多かったのですが、聖
書で言ったように「あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で
解くことは、天でも解かれるであろう(マタイ16:19)」と言われた真理のとおり、イ
エス様とマリアを解放させてさしあげるためなのです。

 再臨主は、イエス様がなしえなかった神様の復帰摂理の根本を完成しに来られます
。すなわち、創造理想を完成する真なる本然の子供の種として来て、神様の真の愛、
真の生命、真の血統の根源になる真の父母の理想を完成しに来られます。彼は、すで
にイエス様のときまで神様の側が勝利した、根本摂理の基盤の上に臨在されます。す
なわち、イエス様が成長して大人になられるまでの勝利的な基盤の上にまさに立たれ
、彼がなしえなかった新婦を迎え、真の父母になられ、万民を救ってくださるのです
。

 それゆえ、真の父母は、血統転換する新しい結婚の行事を通じて、全人類をして神
様の真の愛、真の生命、真の血統として接ぎ木して、真なる人として救い、さらに真
なる家庭を成して、地上天国を建設なさるのです。(拍手)

 従って、再臨主は、肉身を持って来られ、新しい血統関係を編成すべきであり、こ
れが国際合同結婚式なのです。(拍手) アダム一家庭で失ったものを、世界大家庭圏
で蕩減復帰することで、アダム家庭で完成すべき、真の家庭権、真の父母権、真の王
権を探し、神様が主管される地上天国として転換し、幸福と統一の世界を探し、神様
の創造理想である地上天国、天上天国を迎えるようになるのです。これが救いの摂理
史の原理観です。皆さんも、360万双で幸福な新しい結婚祝福を受けることを願いま
す。(拍手)

 親愛なる各界指導者、そして、内外貴賓の皆様!
 今日、この意味深い集まりに盛況を成してくださった皆様に、もう一度深い感謝を
申し上げます。併せて、皆さんすべてが、この歴史的な方向に一致して、平和世界建
設に先駆者となってくださることを願います。(拍手)

 皆様と皆様の家庭に神様の祝福が共にあられることを祈ります。
 ありがとうございます。

A courtesy of Mr. Hajime Harada in Korea